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哀しみの恋人達 : ウィキペディア日本語版
哀しみの恋人達

哀しみの恋人達」(''Cause We've Ended As Lovers'')は、アメリカの歌手シリータ・ライト(アーティストとしての名義はシリータ)が1974年のアルバム『スティーヴィー・ワンダー・プレゼンツ・シリータ』で発表した楽曲。作詞、作曲、プロデュースは、かつてシリータの夫であったスティーヴィー・ワンダーによる。1975年にはイギリスギタリストジェフ・ベックのファースト・ソロアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ(LPリリース時のタイトル『ギター殺人者の凱旋』)』に収録されたインストゥルメンタル・ヴァージョン(LPではB面1曲目)で広く知られるようになる。
==ジェフ・ベックによるカヴァー==
1972年、スティーヴィー・ワンダーはジェフ・ベックのために「迷信」を作曲するが、所属レーベルのモータウンなどに反対され、自らのシングルとしてリリースし大ヒットしたため、ジェフ・ベックは「迷信」をオリジナルとしてやる事ができなくなった〔「ギター・グレイツ」、ジョン・トプラー他著、神川あや訳・ロッキング・オン、1985、ISBN 4-947599-11-1〕。スティーヴィーはこの事のお詫びとして、かつての妻であったシリータ・ライトのセカンド・アルバム『スティーヴィー・ワンダー・プレゼンツ・シリータ』(1974)に収録されたバラードである本曲を提供した〔HOT WIRED GUITAR:The Life of JEFF BECK、Martin Power、2011、ISBN 978-1849388696〕。
スティーヴィー・ワンダーの原曲はソフトなヴォーカルの物静かな曲であったが、ジェフ・ベックの解釈により、メロディラインの寸断や調性の変化がなされ、曲中には、ボリューム奏法ピッキング・ハーモニクス、3音(増4度)チョーキングなどのテクニックが組み込まれるなどして、ダイナミックで知的な泣きのギター・インストゥルメンタル曲となり〔、後のギタリストに大きな影響を与えた〔「スーパー・ロック・ギタリスト」、シンコー、1987、ISBN 4-401-61212-4〕。そういったテクニックを多用していたロイ・ブキャナンに捧げるとアルバムジャケットに記されており、ジェフ・ベックは米ギター・プレイヤー誌のインタビューにおいても「ロイのヴァイブレーションと同じになるように弾いた」と答えている〔。ロイ・ブキャナンは、その後リリースされた『メシアが再び(原題 ''A Street Called Straight'')』(1976)において、アンサーソング的な「マイ・フレンド・ジェフ」で応えている。
途中6小節ほどにギターのオーヴァーダビングが入る以外は、一発録りのいわゆるスタジオライヴである〔。使用ギターは、ブルース・ギタリストのロニー・マックの破損したギブソン・フライングVに搭載されていたP.A.Fピックアップ〔を、セイモア・ダンカンが修理しテレキャスターに移植したもの(通称テレギブ)である。
「哀しみの恋人達」は、ジェフ・ベックがインストルメンタル主体に転向した『ブロウ・バイ・ブロウ』以降の代表曲のひとつとなり、ライヴにおいてもハイライト曲として演奏される事が多い。1975年の第1回ワールド・ロック・フェスティバル公演時、来日記念盤として国内限定でシングルカットされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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