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哀愁の街に霧が降るのだ : ウィキペディア日本語版
椎名誠[しいな まこと]

椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本作家SF作家エッセイスト写真家映画監督。本名、渡辺 誠(わたなべ まこと)。旧姓、椎名。結婚したときに渡辺一枝の姓に合わせ、渡辺姓となった。
一枝もエッセイストで、チベットについての本など、多数の著書がある。息子の渡辺岳〔椎名の小説『岳物語』のモデルである。(椎名誠『自走式漂流記 1944-1996』新潮社、新潮文庫、1996年 p.301より)。〕は元ボクサーで、現在は写真家。娘の渡辺葉翻訳家エッセイスト
==経歴==
1944年、東京都世田谷区三軒茶屋に5人兄弟の三男として生まれる。父親は公認会計士。1950年より千葉県印旛郡酒々井町千葉市幕張に転居〔椎名誠『自走式漂流記 1944-1996』新潮社、新潮文庫、1996年 p.344〕。

1956年、父が死去。翌年に中学校入学。「父親が死ぬとグレなければならないという奇妙な使命感」から不良を目指し始める。中学時代は喧嘩に明け暮れる。1960年、中学校を卒業し千葉市立千葉高等学校に入学〔『自走式漂流記』 p.345〕。
1963年、千葉市立千葉高等学校卒業。同人誌『幕張じゃーなる』創刊〔『自走式漂流記』 p.346〕。
1964年、東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学。同人誌『斜めの世界』創刊〔『自走式漂流記』 p.346〕。
1965年、友人の車に同乗中の事故により重傷を負う。東京写真大学を中途退学。代々木の演劇学校に脚本の勉強に通う。同人誌『フモリスト』創刊〔『自走式漂流記』 pp.346-348〕。
1966年、流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているデパートニューズ社(現・ストアーズ社)に入社。デパート業界を対象とした業界誌『調査月報』の編集を任せられる〔『自走式漂流記』 p.348〕。
1968年、渡辺一枝と結婚、東京都小平市に転居。ガリ版誌『月刊おれの足』創刊〔『自走式漂流記』 p.349〕。
1969年、デパートニューズ社より『ストアーズレポート』を創刊。編集長に就任。〔『自走式漂流記』 p.349〕
1974年、8ミリにてドキュメンタリー作品『神島でいかにしてめしを喰ったか…』を製作。小金井市の8ミリ同好会に参加し、8ミリ映画の製作にのめり込む〔『自走式漂流記』 p.350〕〔『自走式漂流記』 p.231〕。
1976年、『本の雑誌』創刊号発行。
1977年、『本の雑誌』5号の巻頭エッセイとして「さらば国分寺書店のオババ』を執筆。7月、同誌の編集権が目黒考二から椎名に移る〔『自走式漂流記』 p.350〕。
1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを目黒と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4、5本は書いていたという〔南伸坊『さる業界の人々』(ちくま文庫)の関川夏央の解説より。なお、関川も同時期にエロ漫画雑誌の編集長及び、原作執筆を手がけていたという。〕。
1979年、『さらば国分寺書店のオババ』でエッセイストとしてデビューする〔『自走式漂流記』 p.351〕。
1980年、7月に株式会社本の雑誌社を設立。12月、ストアーズ社を退職しフリーになる〔『自走式漂流記』 pp.351-352〕。その後は私小説SF小説エッセイルポルタージュ、写真集などを多数発表。
1987年、株式会社椎名誠事務所設立〔『自走式漂流記』 p.357〕。
1989年、『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞〔『自走式漂流記』 p.358〕。
1990年、『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞。映画『ガクの冒険』公開〔『自走式漂流記』 p.360〕。
1991年、映画製作会社ホネ・フィルム設立〔『自走式漂流記』 p.361〕。
1992年、長良川河口堰反対カヌーデモに参加〔『自走式漂流記』 p.362〕。
1993年、映画『あひるのうたがきこえてくるよ』で第10回山路ふみ子映画文化賞受賞〔『自走式漂流記』 p.364〕。
1996年、映画『白い馬』で日本映画批評家大賞最優秀監督賞、95年度JRA賞馬事文化賞を受賞〔『自走式漂流記』 pp.367-368〕。
1997年、映画「白い馬」でフランス・ボーヴェ映画祭グランプリ受賞、ポーランド子ども映画祭特別賞受賞。

2005年3月、「マガジン9条」発起人となった〔マガジン9とは? 〕。
2011年8月からネット・ミュージアム「椎名誠 旅する文学館」が開館。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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