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品川伊氏 : ウィキペディア日本語版
品川伊氏[しながわ これうじ]

品川 伊氏(しながわ これうじ)は、江戸時代高家旗本高家肝煎を務め、1500石まで加増された。
== 生涯 ==
寛文9年(1669年)、上総佐貫藩松平重治の次男として生まれる。
父方の実家である高家旗本品川高如の養子になった。寛文11年(1671年)7月8日、養父(外祖父)の死去により、3歳で家督を相続した。延宝4年(1676年)10月8日将軍徳川家綱御目見する。
元禄元年(1688年)11月14日高家職に就任し、12月25日従五位下侍従に叙任、豊前守と称した。元禄10年2月9日には、幸子女王の入内に際して本多忠国の副使として上洛。閏2月18日、従四位下に昇った。
元禄14年(1701年)3月14日、浅野長矩吉良義央の刃傷事件の際に現場に居合わせ、畠山義寧と共に義央を蘇鉄の間へ運んだ。
元禄14年(1701年)8月28日、伊氏は畠山基玄と同様の職務、すなわち高家肝煎を命じられる。宝永5年(1708年)閏正月21日、松平頼豊とともに上洛、3月28日に従四位上に昇る。宝永6年(1709年)5月4日には徳川家宣への将軍宣下に際して井伊直通とともに上洛、7月1日に左少将に進んだ。
宝永7年(1710年)12月1日、上野国群馬郡内に500石を加増されて、合計1,500石となる。正徳2年(1712年)9月22日死去、44歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「品川伊氏」の詳細全文を読む



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