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唐島基智三 : ウィキペディア日本語版
唐島基智三[からしま きちぞう]
唐島 基智三(からしま きちぞう、1906年1月1日 - 1976年7月30日)は、政治評論家ジャーナリスト
== 人物 ==
広島県竹原市出身。旧制忠海中学(現広島県立忠海高等学校)、第六高等学校東京帝國大学法学部政治学科卒業(1928年)。
東京帝國大学卒業後、国民新聞社入社。編集局長などを経て1940年退社。1943年東京新聞社(現中日新聞東京本社)に移り理事、論説委員長。
一時占領軍公職追放令で一線を退いたが1950年解除後、同社復帰。復社後は東京新聞の一面コラム筆名・武原敏として「筆洗」を長きにわたり書き続けた。
1950年代テレビによる国会中継が始まると、1957年放送開始のNHK国会討論会』の司会を務め、自らの政治的立場は表に出さず、ソツなく巧みまた適当に鋭く、適当に砕けた司会ぶりは素人にも分かり易いと高い評価と人気を得た。お茶の間に政治の話題を持ち込んだ功労者である。『国会討論会』は、『日曜討論』と名を変え現在も続く長寿番組となっている。
東京新聞を退社した1960年からはNHK解説委員となり、1960年代の安保闘争時にはさらにテレビ出演が増え、党首会談などの司会も多く務めた。1961年第12回NHK放送文化賞受賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「唐島基智三」の詳細全文を読む



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