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唐崎夜雨 : ウィキペディア日本語版
トウ雨賢[とう うけん]

雨賢(とう うけん、''Teng Yu-hsien''、1906年7月21日 - 1944年6月11日)は、日本統治時代の台湾作曲家唐崎夜雨のペンネームでも活動し、後に東田暁雨という日本名に改名した。
== 生涯 ==
桃園県龍潭郷出身。広東省嘉応州鎮平県(現在の梅州市蕉嶺県)から移住した客家人の子孫。父の盛猶が台湾総督府から台北師範学校(現在の国立台北教育大学)の漢文教師に招かれたため、3歳で父に従って台北に移住。1914年、公学校に入学した。1921年、15歳の時に台北師範学校に入学し、オルガンマンドリンなどの西洋楽器に接した。1925年に卒業後に、大稲埕の日新公学校に勤務するが、24歳の時に日本に渡って作曲を学んだ。
1930年台湾に戻り、台中地方裁判所の通訳を務めた。1932年、文声曲盤公司というレコード会社に入社し、『大稻埕行進曲』を作曲した。翌年、コロムビアレコードに移籍し、『望春風』『月夜愁』などの歌曲を作曲した。
1937年台湾総督小林躋造が就任すると「皇民化」政策が推進され、漢文歌曲は禁止された。『望春風』『月夜愁』などの曲が軍歌に書き換えられ、雨賢は大きなショックを受けた。1940年に台北を去り、新竹県で小学校の教師をするようになった。その後、健康状態が徐々に悪化し、1944年に肺疾患と心疾患により死去した。
作品のうち、『雨夜花』『望春風』『月夜愁』『四季紅』の4作品が特に有名で、4曲合わせて「四月望雨」と呼ばれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トウ雨賢」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Teng Yu-hsien 」があります。



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