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唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 千葉県成田市出身。父親の方針で小学校入学当時は空手(緑帯)を始め、成田市立成田小学校3年から成少フォックスに入団し野球を始める。以来一貫して投手を務めている〔雑誌「週刊ベースボール」(ベースボール・マガジン社刊)2008年6月9日号10ページ「VOICE of THE HERO」〕。小学校6年で千葉県大会ベスト8。成田小学校の2学年上に、女子マラソン選手の田中智美(第一生命)がいた。 中学では熱心な誘いを受けていた強豪シニアリーグのチームには入らず、成田市立西中学校の軟式野球部に入部。これも身体が出来ていないうちから硬球での野球をさせることに反対していた父親の方針からだった。中学3年時にはKボール成田市選抜のエースとして全国大会準優勝を果たした。 高校は成田高等学校に進学。小学生のころから成田高校の試合を見に行っており、当然のようにここに入るのだと思っていたのだという。入学後ブルペンでの投球を見た尾島治信監督が、1年生ながらその抜群のコントロールに驚き、急遽4月第二週目の練習試合で投げさせたところ、2イニングで6奪三振といきなり非凡な才能を見せた〔千葉ロッテ・唐川侑己「ピッチャーは運動神経じゃない」(後編) 二宮清純責任編集Sports Communications、2011年08月02日〕。1年夏からベンチ入りし(背番号18)、同年秋から背番号1をつける。秋の千葉県大会決勝では、岩嵜翔擁する市立船橋高に勝利しセンバツ出場を決める。 2年春の甲子園では、1回戦の小松島高戦で10奪三振を奪い完封し、一気に知名度を上げた。夏の千葉大会では初戦の2回戦で市立稲毛高戦に先発。Aシードであり、優勝候補と目されていたが3-4で敗れる。 3年春の甲子園では、初戦で延長12回の末、同年夏に準優勝した広陵高に敗戦。夏の千葉大会は東海大浦安高戦で同大会28イニングス目で初となる失点を喫し、延長14回の末0-1で敗戦。当時バッテリーを組んだ西田和也捕手が得点出来なかったことを謝罪すると、「自分が0点に抑えたら負けなかった。」と答えたという。夏の甲子園出場は逃したものの、県大会で投げた3試合で35奪三振とその力を充分に見せつけた。甲子園での通算成績は1勝2敗、防御率0.90。 高校生のドラフト候補として大阪桐蔭高の中田翔、仙台育英高の佐藤由規と共に高校ビッグ3と呼ばれ、2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズと広島東洋カープから1巡目指名を受け、抽選で地元・ロッテが交渉権を獲得。同年11月6日、契約金9000万円・年俸1000万円(金額はいずれも推定)で仮契約が成立した。背番号19。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐川侑己」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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