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唐橋在家[からはし ありいえ] 唐橋 在家(からはし ありいえ、享保14年6月7日(1729年7月2日) - 寛政3年9月29日(1791年10月26日))は江戸時代中期の公家。唐橋在廉の子。号は蘭園。正二位権大納言に至る。室は黒田長貞の娘。子に唐橋在熙、五条為徳、(光子(大原重尹室)黒田豊熈、堯道(清凉寺)ら。 故実に詳しく、元服について記した『冠儀浅寡抄』、笏について記した『畢用録』、高齢公卿の装束について記した『宿徳装束抄』、狩衣について記した『布衣群色便蒙抄』ほか著書は多い。『宿徳装束抄』や『布衣群色便蒙抄』には生地について近世の通説を疑う研究的態度が見られるなど、考証的志向がある。永田忠原と親しく、子の在熙は忠原の弟子であった。日記に『蘭園記草』がある。また彼のエピソードは『閑窓自語』に見える。 == 関連項目 ==
* 唐橋家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐橋在家」の詳細全文を読む
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