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唐橋在豊[からはしありとよ] 唐橋 在豊(からはしありとよ、明徳2年(1391年)-寛正5年7月22日(1464年8月24日))は、室町時代前期の公卿。文章得業生唐橋在遠の子。子に唐橋在治・九条満家室がいる。 == 経歴 == 幼くして父を失ったが、応永29年(1422年)1月11日に32歳で正五位下式部権少輔に任ぜられると、順調に昇進を重ね、正長2年(1429年)の釈奠の時には文章博士であった。その後、大内記・大学頭などを歴任し、嘉吉4年(1444年)1月6日に従三位に叙せられ、同29日には参議に任ぜられた。その後、式部権大輔に転じ、宝徳4年(1452年)3月18日には従二位に叙せられ、康正元年(1455年)11月15日に権中納言に任ぜられた。長禄元年(1457年)10月には氏長者(「北野の長者」)に任ぜられ、寛正元年(1460年)4月2日には権大納言に任ぜられて3日で辞任している(唐橋家の権大納言の初例)。 摂関家である九条家に家司・侍読として出仕して、後に婚姻関係を結んだ。嘉吉4年の除目で、息子の在治が大内記に任ぜられたのを、万里小路時房が「父の才学」による人事と批判している(『建内記』嘉吉4年正月17日条)が、裏を返せば在豊の能力を高さを示すものと言える。また、「永享」「文安」の両元号の勘申者とされている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐橋在豊」の詳細全文を読む
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