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唐沢山城の戦い : ウィキペディア日本語版
唐沢山城の戦い[からさわやまじょうのたたかい]

唐沢山城の戦い(からさわやまじょうのたたかい)は、永禄年間から元亀年間にかけて、下野国唐沢山城(現在の栃木県佐野市富士町、栃本町)において、越後上杉謙信下野佐野昌綱の間で約10度にわたって繰り広げられた戦い。
== 概要 ==
下野国唐沢山城は、下野南部における重要拠点であり、上杉謙信が関東出兵する際に押さえておく必要のある城であった。当時の唐沢山城主は、佐野氏の第15代当主・佐野昌綱であった。昌綱は、越後の上杉謙信と相模北条氏康という二大勢力に挟まれる苦しい情勢の中、御家の存続と領民を守るため、武勇と知略をもって戦国時代の荒波を乗り切ろうとした。唐沢山城は、関東七名城の一つに数えられる難攻不落の山城であり、謙信はこの城の攻略に手を焼くことになる。このことから「関東一の山城」と言われるようになった。幾度も攻め寄せる上杉軍に対し、昌綱は唐沢山城に篭城して時に撃退し、時に降伏した。しかし上杉軍が越後へ去って北条軍が攻め寄せると今度は北条氏に降伏し、再び上杉軍が攻め寄せると上杉氏に降伏するという臨機応変な状況判断で凌いだ。戦国時代において多くの戦国大名が滅亡する中、佐野氏が命脈を繋ぐことができたのは、昌綱の才覚と唐沢山城の堅固さによるものであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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