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唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本のプロ野球中継専属リポーター・ラジオパーソナリティ・歌手・実業家(広告会社社長〔株式会社クリエイティブタグ代表取締役〕 - 本業)。大阪府生まれ。MBSラジオ制作の阪神タイガース(以下、阪神、同球団)関連番組で、長らくリポーター・スポーツコメンテーターとして活躍していた。 通称は『ミスター・トラ』(元々は、阪神関連番組出演時の名義だった。後述参照)。愛称は『唐(から)さん』、『からやん』。血液型はA型。 == 人物・略歴 == 1962年に関西大学文学部新聞学科を卒業後、広告代理店に8年間在籍。トップセールスマンとして活躍した後に、独立して広告会社を設立した。この会社が阪神公認の広告代理店になったのを機に、同球団のグッズを制作するスポンサーとの契約を業務として手掛けるようになった。 『ミスター・トラ』として放送に出演したきっかけは、1974年にサンテレビジョンが阪神タイガース関連の1時間番組を制作する際に、広告会社の社長としてアイデアを出したことにある。当初は番組のキャスターとして、別の人物に『ミスター・トラ』(トラはタイガースの意味)を名乗らせる予定だったが、関係者の勧めで自ら同球団のユニフォームを着て出演することになった。 1977年からはMBSラジオで、阪神の情報・応援番組『トラ!トラ!トラ!タイガース!!』のパーソナリティを担当(当初は、覆面レポーターの『ミスター・トラ』として出演)。同球団の監督・選手・コーチや関係者をしばしばゲストに招く一方で、広岡達朗をはじめ、球界・実業界との幅広い交流を披露することもあった。同番組は後に、プロ野球ナイター中継番組『毎日放送ダイナミックナイター』や『太田幸司のスポーツナウ』(ナイターオフ番組)の内包コーナーとして継続。2000年には、タイトルを「ミスタートラ・唐渡吉則のとことん!!タイガース」と改めた。 1990年代には、ホーム・ビジターを問わず、『毎日放送ダイナミックナイター』で中継される阪神タイガース公式戦の全試合を取材。MBSラジオのプロ野球中継が『MBSタイガースナイター』になった2003年から同球団側のベンチリポーターを退いたが、同中継の前座番組や『太田幸司の熱血!タイガーススタジアム』(『太田幸司のスポーツナウ』の後継番組)でも「とことん!!タイガース」を続けていた。 『とことん!!タイガース』は、2009年4月2日の『太田幸司の熱血!タイガーススタジアム』を最後に放送を終了。前身の『トラ!トラ!トラ!タイガース!!』時代を含めて32年という通算放送期間は、同一人物がパーソナリティ・キャスターを務めるスポーツ番組で日本最長とされる。これを機に、同局のスポーツ番組から事実上退いた。 また、歌手として「男一途の人生姿(おとこいちず - はれすがた)」(2003年、当時の星野仙一監督を歌った楽曲)などを発表。『トラ!トラ!トラ!タイガース!!』を『とことん!!タイガース』に改称したのも、2000年3月に同名の楽曲を発表したことによる(改称を機にオープニング曲へ採用)。2008年3月12日には、『唐さん・一枝のoh!艶歌』で共演中の桜井一枝とのデュエット曲「ありがとう御堂筋」などを収録した初のミニアルバム「ド・ドンと行こうぜタイガース/ありがとう御堂筋」を発売した。 ちなみに、1992年にカバーソングとして発表した「六甲おろし」は、同球団の公認歌に指定。「ド・ドンと行こうぜタイガース」も2008年、同球団が阪神甲子園球場や京セラドーム大阪などでホームゲームを開催する際に、試合前の球場内で流されていた。 MBSラジオでは、スポーツ番組降板後の現在も、『唐さん・一枝(かずえ)のoh!艶歌(おうえんか)』などのレギュラー番組を持つほか、唐渡出演のCMも流れている。 また、大阪星野仙一後援会「虎仙会」の副幹事長も務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐渡吉則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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