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唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。元朝日新聞書評委員。北海道札幌市出身。札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業〔カレソンよ永遠に(21), 青山学院大学新聞, 第142号 (2000年4月15日), p.3.〕(英文科卒とする記述がある〔あぁルナティックシアター20周年記念公演「星ニ願イヲ」 に記載のプロフィールより、2010年6月29日閲覧。〕一方、教育学部に在学していたとする記述〔唐沢俊一のオタクな散歩道 第49回 、2010年6月29日閲覧。〕、文学部中退とする記述もある〔 記載のプロフィールより。〕)。東北薬科大学薬学部中退。 サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介する事をライフワークとしている。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めている。 近年では落語会や舞台演劇などにも積極的に出演し、舞台俳優、カルト芸人とも称している。 == 人物・来歴 == と学会の発起人の一人で運営委員。 自称雑学王であり、フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のスーパーバイザー。「トリビアの泉」の元ネタとなったのが唐沢の著作『トンデモ一行知識の世界』である。「世界一受けたい授業」(日本テレビ)の講師としても参加している。ラジオでは、「ブジオ!」(TBSラジオ)の金曜日パーソナリティを経て、冠番組「唐沢俊一のポケット」(TBSラジオ)のパーソナリティを務めていた。 漫画家の唐沢なをきは弟。妻は、同じく漫画家のソルボンヌK子(鹿野景子)。なをき・K子とは、いくつかの共著、もしくはイラストを任せた著書を出している。一時期(主に1990年代前半)はなをきと兄弟で著作する際に唐沢商会名義を用いていた。母方の伯父には、タレントの小野栄一がおり、小野が経営していた芸能プロダクションの経営を、引き継いでいたこともある。 小学生の頃から、雑誌の端に掲載させる「一行知識」が好きであり、トリビア愛好はその時以来の趣味だという。中学時代には星新一などのSF小説を好んで読み、友人とガリ版で同人誌を制作。 高校時代に『宇宙戦艦ヤマト』と出合い、札幌のファンサークルでヤマト再放送の嘆願書を送る活動などを行う、サークル活動に熱中するあまり大学受験をわざと一浪する〔「トンデモ創世記2000」による〕。しかし、唐沢自身はヤマトのファンではなかったという。 大学生の時、海外アニメを観て感動し、アニメーター・なみきたかしが代表を務めるアニメ研究会「アニドウ」に入会、アニメ研究などを始める。同時期、本格的に名画座や古書店に通い出す。1980年12月に載った投稿から始まった、雑誌『ぴあ』投書欄の怪獣映画や『機動戦士ガンダム』についての論争の中心人物となり、論争は最終的に手塚治虫や富野由悠季などのアニメ関係者に意見を求める事態にまで発展し、1981年8月まで続く。 20代の期間に、本人曰くの「挫折」を味わい、薬局を経営していた実家の家業の関係もあって東北薬科大学へ再入学するが、その時期にイッセー尾形のスタッフにもなっており、多忙もあって中退。また「札幌への都落ち」も体験したという。 一部のプロフィールには1982年、大日本図書に入社するも1989年に退社とするものもあるが、1982年ごろに青山学院大学を去り東北薬科大学へ入学するもわずかな期間で中退、札幌の実家の薬局でコンピュータ・システム構築をしていたという唐沢俊一本人の弁と異なる〔奇人怪人偏愛記』 P.44 〜 P.45〕。 1986年、劇団あぁルナティックシアターの結成に参加し、主宰者として企画から舞台出演もこなす〔http://www.tobunken.com/news/news20090619081356.html〕。 1990年に、薬局の業界紙に掲載されていたコラムをまとめた単行本『ようこそ、カラサワ薬局へ』で単行本デビュー。1992年に創設された「と学会」がブームを起こしたことも追い風となったため、初期は「トンデモ」が付く著書名が多かった。以降、多数の著書、共著を発表。国内・海外、現在・過去問わず、B級文化全般を幅広く抑える、著作活動を行うようになる。 古本マニアであり、自身を含めた古本マニアの特殊な生態や、レアな古本の内容などを、面白おかしく書いた『古本マニア雑学ノート』シリーズは、唐沢の代表作の一つとなり、近年の若い世代の「古本ブーム」に大きな影響を与えた。 一般にB級と呼ばれる貸本ホラー漫画の復刻活動も、妻と共同で多数行っており、出版社から復刻を断られたものは、自費出版で復刻を続けている。ただし復刻の際に、その漫画の不自然な部分に手書きの「突っ込み文」を挿入する手法には、批判の声もあがっている。 かつて、自称2万冊あった蔵書は、現在は事務所移転などにともない重要とされる物を除くとロフトプラスワンで複数回開催された有料イベント「唐沢俊一の本あげます!」で処分され、残りは楽工社の倉庫に保管にされている〔唐沢本人によるイベント告知 〕。 1995年、と学会などで親交の深かった作家の岡田斗司夫・漫画家の眠田直とともに、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。2007年、高層ビルや昭和歌謡曲のマニアとして知られる俳優の半田健人・脚本家の中野貴雄とともに、昭和ロマンについて語るイベント「昭和40年代を語る会」を結成(実際には結成予告のみで、2007年春に行われたプレイベントには半田健人は出席せず、7月に開催される予定だった結成式は行われずに話が流れている)。 また坂本頼光をプロデュースし舞台をともにするなど自らもカルト芸人を自認し活動している〔http://www.tobunken.com/news/news20090719104411.html〕。 美食家として知られる。料理も得意であり、妻のK子が料理嫌いであることから、唐沢家では俊一が常に料理を行っている。 2010年2月27日、自身のホームページ上で1999年以来続けていた『裏モノ日記』を突如休止すると発表した〔当分の間 、唐沢俊一ホームページ『裏モノ日記』、2010年2月27日。2010年3月20日閲覧。〕。しかし、最近の日記に頻繁に書き込まれていた物故有名人への追悼文は、同ホームページのニュース欄同人誌のページで現在も続けられている〔同人誌 、唐沢俊一ホームページ、ニュース。2010年3月20日閲覧。〕。 2010年1月21日の『裏モノ日記』では、2010年中に書き下ろしの新刊本を4冊、古い企画を復活させた新刊を1冊出す予定であると発表し〔裏モノ日記2010年1月21日 、唐沢俊一ホームページ。2010年4月2日閲覧。〕、『唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団』を連載しているラジオライフ2009年12月掲載号のプロフィール欄では、2009年11月の時点でそのうち3冊の執筆が始まったことが記されているが〔深草ならしょうしょうのちがい 、唐沢俊一検証blog、2010年3月26日。2010年4月2日閲覧。〕、内容は不明である。また、同誌2010年5月号の同連載プロフィール欄では、「語り下ろし本2冊平行進行中」であり〔、よもやまはなこがイラスト兼テープ起こしをしていることが明かされている〔。一方で。2010年3月19日発売予定だった『本を捨てる!』(朝日新聞出版)は発売延期になり〔ごあいさつとお知らせ 、『本を捨てる!』関連エアイベント開催予定地、2010年3月12日。2010年4月2日閲覧。〕、フィギュア王に約5年にわたって連載された『唐沢俊一のトンデモクロペディア』は、No.145(2010年2月発売)掲載分を最後に突如連載が打ち切られるなど〔『唐沢俊一のトンデモクロペディア』連載終了。 、唐沢俊一検証blog、2010年3月20日。2010年4月2日閲覧。〕、日記の休止も併せて文筆業としての露出度は以前より減少している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐沢俊一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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