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唐紹儀 : ウィキペディア日本語版
唐紹儀[とう しょうぎ]

唐 紹儀(とう しょうぎ)は、中華民国の政治家・実業家。清末民初において、革命派を支持した政治家として知られる。少川。娘婿に岑徳広がいる。
== 事績 ==

=== 清末の活動 ===
上海の茶商人の家庭に生まれる。1874年同治12年)、アメリカ留学児童として派遣され、コロンビア大学文科で学んだ。1881年光緒7年)に帰国し、天津水師附設洋務学堂で学ぶ。
1885年(光緒11年)、天津税務衙門で任用された。後に、袁世凱に随従して朝鮮に赴任し、やはり税務を担当している。このとき、袁から高く評価され、1894年(光緒20年)に袁が内地に召還された際には、唐が袁の事務を代理した。
1895年(光緒21年)に唐紹儀は帰国した。まもなく袁世凱の天津で練兵を開始すると、唐は徐世昌とともにその事務を担当している。李鴻章の死後に袁が直隷総督兼北洋大臣に任命されると、唐は袁の推薦により津海関道に任ぜられた。
1904年(光緒30年)、イギリスがチベットに介入を開始したため、唐はチベットとの交渉に関する全権大臣に任命されている。交渉は2年にも及び、最終的にイギリスで条約が調印された。1907年光緒33年)、奉天巡撫に任命されている。翌年には、北京議定書をめぐる交渉のために、アメリカへ派遣された。1910年(宣統2年)、郵電部尚書に任命されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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