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善堂[ぜんどう]
善堂(ぜんどう)とは、明代末期に河南省で誕生した慈善のための結社。豪紳の親睦会が元となり、清代に中国全土に普及した〔玉置充子 『タイ華人の民間宗教系慈善団体の社会活動とネットワーク』 宗教の社会貢献活動研究プロジェクト第6回研究会 2007年〕。組織を善会、その運営する実体を善堂と呼び分けることもある。 中国における善堂組織は中華人民共和国の成立とともに衰退したが、潮州系移民の多いタイやシンガポールでは20世紀中頃から多くの組織が生まれ発展した。特に政府や自治体による救急組織が2008年まで存在しなかったタイでは、21世紀の現在でも民間救急の担い手として存在を示している。 == 大峰祖師信仰 == 仏教組織としての善堂は大峰祖師(タイ語ではหลวงปู่ไต้ฮง もしくはไต้ฮงกง。「宋大峯祖師」とも)への信仰が元になっている。 大峰祖師は北宋の僧侶。1039年、中国浙江省温州市の生まれ。姓は林。裕福な家庭に生まれ、教育と仏教の修養を受けた。科挙に通り、進士となり、郡長を務める。しかし、54歳のときに、政治の腐敗に失望し、僧侶になり、仏法の普及に努めた。 81歳のときに、行脚していた折に広東省潮陽県和平里で雨安居に入り滞在することになった。当時、その地域は暴風雨、河川氾濫、疫病、火災、干ばつなどさまざまな災害に苦しんでおり、行き倒れた死体が数多く散乱していた。大峰祖師は死体を集めて荼毘に付し、診療所を開設、困窮する民衆に食糧を配った。また、民衆や弟子を諭し、家族を失った人、困窮する人びとに徳を積み、慈愛を持った行いをするように薦めた。1127年に88歳で没したが〔大峯祖師の経歴 〕、死後その徳を称えて「報徳堂」が建立された。清代に仏寺として報徳堂が再建されるころには大峰祖師自身の神格化が進み、民衆の信仰対象となっていった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「善堂」の詳細全文を読む
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