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喜代三 : ウィキペディア日本語版
新橋喜代三[しんばし きよぞう]

新橋 喜代三(しんばし きよぞう、女性、1903年10月12日 - 1963年3月23日)は昭和初期から中期に活躍した歌手で、元芸者
鹿児島県種子島熊毛郡北種子村(現在の西之表市)出身。本名中山嘉子。旧姓は今村、旧名はタネ。(読み方は同じで「タ子」と書かれた書物もある)。作曲家中山晋平の後妻。享年59。
== 幼少時代 ==
1903年(明治36年)10月12日、父今村正義、母チカの元に9人兄妹の長女(第1子)として生まれ、出生地の種子島に因んで「タネ」と名付けられた。間もなく両親と鹿児島市に移り住む。
正義は本来畳職人であったが、水商売を好み旅館料亭など幾多の商売を手がけるもいずれもうまく行かず、鹿児島市内を転々として過ごした。
鹿児島市唐湊に住んだ頃、尋常小学校へ入学するが、正義の度重なる商売の失敗で夜逃げをするに至り、宮崎県小林市に移り住んだ後、家計を助けるため尋常小学校5年で中退、近所の芝居小屋「新芸座」に住み込んで売り子の仕事をするようになった。
1916年(大正5年)2月、小林で正義が営んでいた商売が軌道に乗り、一家は鹿児島へ戻ることとなる。
鹿児島に戻った一家は、鹿児島駅近くの小川町で小さな果物屋を開いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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