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喜多川 秀麿(きたがわ ひでまる、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。 == 来歴 == 喜多川歌麿の門人。俗称春治、松好斎と号す。下谷柳稲荷社前に住む。享和から文化のころにかけて版本の挿絵、錦絵、肉筆美人画を描く。錦絵は「風俗四季遊 夏」や「赤蔦屋内浮嶋」などの作が知られており、版本では享和3年(1803年)刊行の黄表紙『臍沸西遊記』(へそがわかすさゆものがたり)、文化元年(1804年)の噺本『落噺百夫婦』、文化10年の滑稽本『役者用文章』の挿絵を手がける。肉筆画については少なく、寛政後期の作とされる「三味線持つ美人図」はその希少な肉筆画の一つである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜多川秀麿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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