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喜多誠 : ウィキペディア日本語版
喜多誠[きた まこと]

喜多 誠きた まこと, 1978年2月15日 - )は、奈良県大和郡山市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。169cm、66kg。2015年6月より日本男子プロバスケットボールリーグbjリーグ高松ファイブアローズフロントスタッフ・アカデミーコーチ。
== 来歴 ==
9歳でバスケットボールを始める。郡山南中学校を卒業後、大阪の大商学園高校に進学。2年でウィンターカップ初優勝を経験。一学年上には梶山信吾がいた。
高校卒業後は大阪商業大学に進学し活躍。大学卒業後はデンソーに入社。
デンソーが休部した後は豊田通商、新潟アルビレックスA2、再び豊田通商を経て、2006年ドラフト17位で(デンソーの大先輩青木幹典が指揮を執る)高松ファイブアローズから指名され入団。背番号は0番。2006年12月23日・24日開催の新潟アルビレックスBB戦の活躍でチーム初の週間MVPを受賞〔高松・喜多誠が週間MVPに-バスケbjリーグ 四国新聞2006年12月27日〕。高松の初代キャプテンとして、参入初年度2006-07シーズンの準優勝に貢献するなど活躍した。
2008-09シーズン終了後に高松を退団し、大阪エヴェッサスクールコーチに就任したが、2009-10シーズン途中の11月4日大阪エヴェッサと選手契約を締結し、現役に復帰。背番号は18番。チームのシーズン準優勝に貢献した。
2010年7月、高松ファイブアローズへ復帰し、再びキャプテンに就任。背番号は20番。2011-12シーズンは現役選手のままアシスタントコーチを兼任。2012-13シーズン開幕の大阪戦2試合ではスリーポイントシュートを9本中8本決めて2連勝に貢献し、自身2度目の週間MVPを受賞〔ローソン“Ponta” 週間MVPは高松・喜多選手 〕。2013-14シーズンより背番号を18に変更。2014-15シーズン終了後に現役を引退し、高松のフロントスタッフ・アカデミーコーチとなった〔喜多誠選手 現役引退・アカデミーコーチ就任のお知らせ 高松ファイブアローズ2015年6月25日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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