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喜子内親王(きし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代末期の皇族。第73代堀河天皇の皇女で、母は不詳。伊勢斎宮。 仁平元年(1151年)3月内親王宣下を受け、妍子内親王(鳥羽天皇皇女)と交代する形で、甥近衛天皇の斎宮に卜定された。同年9月19日、初斎院(一本御書所)に入る。同2年(1152年)9月30日、野宮入り。同3年(1153年)9月21日、伊勢へ群行(長奉送使は権中納言藤原忠基)。久寿2年(1155年)7月23日、近衛天皇崩御のため退下。嘉応2年(1170年)頃までの存命は確認されるが、その後の消息は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜子内親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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