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喜撰(きせん) #平安時代の歌人。六歌仙の1人。喜撰法師とも呼ぶ。本項で説明する。 #「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」という喜撰の歌から、茶(宇治茶)の銘柄名。また茶の隠語。 #平安時代の六歌仙を扱った天保2年江戸中村座初演の歌舞伎舞踊『六歌仙容彩』の第三幕「喜撰」。喜撰法師が女性を口説く踊りで、坂東三津五郎家が代々得意とした。 ---- 喜撰(生没年不詳、伝不詳)は、平安時代初期の真言宗の僧・歌人。六歌仙の1人。 伝承では山城国乙訓郡の生まれとされ、出家後に醍醐山へと入り、後に宇治山に隠棲しやがて仙人に変じたといわれる。下に掲げる二首の歌のみが伝えられ、詳しい伝記などは不明。なお「喜撰」の名は、紀貫之の変名という説もある。また桓武天皇の末裔とも、橘諸兄の孫で、橘奈良麻呂の子ともいわれる〔「本朝高僧伝」巻七十四(城州宇治山喜撰傳 )〕。「古今和歌集仮名序」には、「ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。詠める歌、多くきこえねば、かれこれをかよはしてよく知らず」と評されている。 歌学書『倭歌作式』(一名『喜撰式』)の作者とも伝えられるが、今日では平安後期の偽書(仮託書)と見られている。また、『無名抄』によれば、宇治市の御室戸の奥に喜撰の住みかの跡があり、歌人必見であるという。今も喜撰洞という小さな洞窟が山腹に残る。 現在に伝わる詠歌は以下の二首のみ。 *(小倉百人一首 8番) わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり(古今和歌集983。また百人一首) *木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも(玉葉和歌集400。また孫姫式) ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜撰」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kisen 」があります。 スポンサード リンク
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