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喜連川城 : ウィキペディア日本語版
喜連川城[きつれがわじょう]

喜連川城(きつれがわじょう)は、現在の栃木県さくら市喜連川にあった日本の城である。
== 歴史・沿革 ==
喜連川城の起源は、宇都宮氏一族の塩谷氏が城を構えた事から始まった。戦国時代に入ると、塩谷氏は宇都宮氏から離反と帰参と繰り返した。また、一族の内紛が続発して衰退していった。小田原征伐の際には、塩谷氏は小田原へ参陣しなかった為に改易された。
小田原征伐後、名族である足利氏の断絶を惜しんだ豊臣秀吉は、足利氏姫を小弓公方家頼純の子である足利国朝に娶わせ(国朝の姉嶋子が秀吉の側室で、取り成したとされる)、喜連川3500石を与えた。更に関ヶ原の戦い後、徳川家康から1000石を加増されている。喜連川藩内は、かつての小弓公方方・古河公方方の対立などがあり、1647年(正保4年)には喜連川騒動が発生した。しかし、江戸時代を通じて喜連川氏の支配は続いた。明治時代1870年明治3年)、廃藩置県に先立って喜連川藩は封土を新政府に奉還し、喜連川城は廃城となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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