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喜連川宜氏[きつれがわよろしし]
喜連川 宜氏(きつれがわ のりうじ)は、江戸時代後期の大名。下野喜連川藩の第10代藩主。 細川定良(肥後宇土藩主細川興文の四男である孝応の次男)の長男で、初名は細川 孝常(たかつね)。 == 生涯 == 安政5年(1858年)12月24日、下野喜連川藩第9代藩主・喜連川煕氏の婿養子となる。もともと煕氏には同じ細川家から迎えた養嗣子・紀氏(細川斉護の六男)がいた。しかし安政5年(1858年)4月、煕氏は紀氏との養子縁組を解消した。一説には紀氏が喜連川藩を継ぐのを嫌がり、藩から脱走したためとされる。そこで煕氏は、あらためて同年12月に同じく宇土細川家から孝常(宜氏)を養嗣子に迎えたのである。 万延元年(1860年)12月1日、将軍徳川家茂に御目見する。文久元年(1861年)12月、家督を相続する。文久2年(1862年)5月3日死去、享年29。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜連川宜氏」の詳細全文を読む
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