|
喜連川 昭氏(きつれがわ あきうじ)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第3代藩主。 == 生涯 == 寛永19年(1642年)10月24日、第2代藩主・尊信の長男として生まれる。足利義昭で絶えた足利家を継承する者としてその1字をとって昭氏と名乗った。正保4年(1647年)藩の主導権をめぐって藩内で喜連川騒動が発生し、慶安元年(1648年)、父尊信の隠居により跡を継ぐが、幼少のために父と後見人の榊原忠次(松平忠次)の補佐を受けた。正徳3年(1713年)11月12日に死去。享年72。 男児が早世したため、はじめ弟の氏信を養嗣子にしたが、早世したため、婿養子の氏春が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜連川昭氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|