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喜連川 氏信(きつれがわ うじのぶ、慶安3年(1650年) - 寛文10年5月14日(1670年7月1日))は、下野国喜連川藩の2代藩主・喜連川尊信の次男。官位は右衛門督。 3代藩主の喜連川昭氏とは異母兄弟。生母は先代喜連川尊信の正室で那須資景の娘。幕命により父尊信は狂乱を理由に隠居中で氏信の生誕時は兄昭氏(9歳)が既に3代藩主であった。後に藩主昭氏の養子となり、寛文8年(1668年)に徳川家綱に初見。しかし、家督を継ぐことなく寛文10年(1670年)に早世した。代わって、一門の宮原氏から喜連川氏春が昭氏の婿養子に迎えられ嫡子となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜連川氏信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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