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営団5000系電車(えいだん5000けいでんしゃ)は、1964年(昭和39年)から製造が開始された帝都高速度交通営団(営団)の通勤形電車である。2004年(平成16年)4月の営団民営化にともない、東京地下鉄(東京メトロ)に継承された。 2007年(平成19年)3月17日まで東西線でも使用されており、それ以降は千代田線北綾瀬支線(綾瀬駅 - 北綾瀬駅間)のみで運用されていたが、2014年(平成26年)5月30日を以って全車が引退した。 本項目では一部説明で西船橋方先頭車の下2桁+50の編成番号を使用している(ただし、アルミ車編成は下2桁+40の編成番号。この表記の使用は東西線用で10両編成化後の編成を表す)。 == 概要 == 1964年(昭和39年)から1981年(昭和56年)にかけて428両(後述の事故廃車の代替車2両を含む)が製造された。東西線が日本国有鉄道(以下国鉄、現・東日本旅客鉄道〈以下JR東日本〉)中央緩行線との相互直通運転を行う予定であったことから、国鉄車に合わせて営団では初の20m級車体となった。なお、後継車の05系が登場するまでは日本の地下鉄車両の中で最も車両数の多い系列だった。 設計時に最終的な編成は基本編成を7両編成(MT比6M1T)とし、ラッシュ時には付属となる3両編成 (2M1T) を増結して最大10両編成 (8M2T) で運行する計画であった。なお、この編成形態について営団は75kW電動機による全電動車、国鉄は110kW電動機による付随車を連結した6M4Tと編成構成の見解に相違があり、協議の結果として電動機は100kWまたは110kW品使用による8M2T編成とすることに落ちついた。 車両形式については日比谷線3000系において4000番台の車両番号も使用されていることから、都市計画第5号線ともゴロ合わせの良い「5000系」を使用することになった〔交友社「鉄道ファン」1991年9月号記事から。〕。この車両の基本的な車体は国鉄103系がベースであり、車両性能面は3000系のマイナーチェンジ車としてコストを抑えた設計となっている〔鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1987年12月臨時増刊号参照。〕 。 この5000系では、3000系までとは方針を変更し、経済性を重視して設計することとなった。 # 外観は製造コストの低い通勤車とする。 # 保守性や消耗部の長寿命化を優先する。 # 工場入場日数を短くするため機器を交換しやすい構造とする。 # 車内は従来車程度とする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「営団5000系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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