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嘉手納線 : ウィキペディア日本語版
沖縄県営鉄道嘉手納線[かでなせん]

嘉手納線(かでなせん)は、かつて沖縄県那覇市古波蔵駅と同県中頭郡北谷村(現・同郡嘉手納町)の嘉手納駅を結んでいた、沖縄県営鉄道鉄道路線である。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止し、沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。
''以下に記載する情報は、注釈が無い限り全て運行停止時点でのものである。''
== 概要 ==
1922年(大正11年)に沖縄県営鉄道2番目の路線として開業した。当初は糸満線が先に建設予定であったが、資金不足などの理由により中止。その後、再び糸満線の建設が計画されるが、北部方面へも関係するとして嘉手納線の建設が先に行われることとなった。
1917年(大正6年)12月に県会において嘉手納線の着工が可決され、翌1918年(大正7年)4月に那覇 - 嘉手納間で出願し、同年6月に免許を取得した。着工は1919年(大正8年)より行われる予定であったが、用地取得などの問題も重なり予定より1年遅れの1920年(大正9年)1月より開始された。その後、約2年をかけて建設が行われ1922年3月に全線が竣工し、同年3月28日に開業した。当初は1日8往復の運行であったが、最盛期には16往復の運行となった。
太平洋戦争の勃発により県営鉄道も戦時体制となり、1944年(昭和19年)7月をもって通常ダイヤが廃止され、実質軍用鉄道化された。但し、その後も一部時間帯に限りは県民の利用も可能であったため、旅客列車の運行は継続された。
しかし、米軍沖縄本島侵攻が迫った1945年3月23日ごろに運行を停止。その約1週間後の同年4月1日に米軍が本島読谷に上陸し沖縄戦が開始され、地上戦により鉄道施設の大半が破壊され嘉手納線は消滅した。戦後の米軍による基地建設や道路建設により鉄道路線は完全に寸断され、その後も復旧することなく1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条約の発効により、日本の地方鉄道法の適用対象から外れ、事実上廃線となった。
なお、1920年ごろから戦時中には、嘉手納駅から名護方面への延伸が検討されるが、資金不足や戦況悪化などにより実現はせず、沖縄戦により嘉手納線自体が消滅してしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「沖縄県営鉄道嘉手納線」の詳細全文を読む



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