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嘉瀬川ダム[かせがわだむ]
嘉瀬川ダム(かせがわダム)は佐賀県佐賀市、一級河川・嘉瀬川本流上流部に建設されたダムである。 国土交通省九州地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、高さ97.0メートルの重力式コンクリートダム。嘉瀬川の治水と佐賀市やその周辺地域への利水、及び水力発電を目的とした特定多目的ダムであり、唐津市にある厳木ダム(厳木川)に続く二番目の特定多目的ダムでもある。ダムによって形成された人造湖は富士しゃくなげ湖と命名され、佐賀県最大の規模を有する人造湖である。 == 沿革 ==
佐賀県中央部を流れる嘉瀬川は古くより灌漑に利用される河川であり、佐賀藩によって度々の河川改修が行われていた。だが、台風常襲地帯であるために度々水害が発生した。戦後だけでも1991年(平成3年)までの間に20回近くの水害に見舞われていて、特に1949年(昭和24年)8月のジュディス台風では死者80人・重軽傷者251人、堤防決壊219箇所、橋の流失250箇所、床上・床下浸水25,552戸という過去最悪の被害をもたらした。近年では1990年(平成2年)6月の集中豪雨では佐賀市内の被害が大きく、床上浸水1,783戸、床下浸水12,327戸の被害を出している。嘉瀬川ではおおむね8〜10年に一度の間隔で浸水被害を伴う水害を起こしており、このため1965年(昭和40年)に一級水系に指定され、建設省(現・国土交通省)や佐賀県による河川整備が行われ、堤防整備や河道の直線化などを実施したがその後も水害は発生し、根本的な解決策が求められていた。 一方流域に広がる白石平野は佐賀県有数の穀倉地帯であり、佐賀藩の財政の基礎ともなった。だが嘉瀬川は隣接する城原川などと同じく天井川で、渇水になると流量が減少し収穫に深刻な打撃を与えた。このため戦後1956年(昭和31年)、最上流部に北山ダムが農林省(現・農林水産省)九州農政局によって建設され、農業用水の補給は改善されたがその後も農地面積の拡大や農業技術の進歩による収穫量増加によって、新規の農業用水確保が急務となった。更に佐賀市とその周辺地域の人口増加によって、上水道の整備も課題となった。 すでに建設されている北山ダムは農業用ダムであり、治水機能や上水道供給の目的を持っていなかった。このため多目的ダムを建設してそれらの問題を解決しようという機運となり、1973年(昭和48年)4月、建設省九州地方建設局(現・国土交通省九州地方整備局)は佐賀郡富士町地点の嘉瀬川本川に『嘉瀬川総合開発事業』に基づく特定多目的ダムを建設する計画を発表した。これが嘉瀬川ダムである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘉瀬川ダム」の詳細全文を読む
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