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嘉長
嘉長(かちょう、生没年不明)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての金工師(鋳物師)、七宝師。 == 生涯 == 伊予松山(愛媛県)の生まれの金工で、姓は不詳。豊臣秀吉の招により上洛し、京都堀川油小路に住した。七宝の技法(七宝流しの法)を心得ており、秀吉によって建立される建築の金具などの制作に当たったといわれるが、その生涯について記録に残るものは乏しい。 一説によれば、小堀遠州が秀吉の輩下であったころ嘉長を知り、自らの勝色縅鎧(おどしよろい)金具の七宝を手がけさせたと伝えられる。また、遠州に登用され、現在も見ることができる桂離宮の金物類を製作したと伝えられる。伝承では同時期に建立された、大徳寺や曼殊院などの引手や釘隠も嘉長の作といわれる。なお、嘉長と同時期の七宝師に平田道仁がおり、同じく京都に居住していたことから、嘉長と同一人物視する説も見られるが、史料上これを明らかにはしがたい〔鈴木規夫 榊原悟「日本の七宝」P209〕。また、明治27年に発行された、横井時冬著『工芸鏡』では、嘉長は「鋳物工」として、平田道仁は「七宝工」として別々の項に記載されている。なお、その技法についてはどちらも「七宝流しの法」としているが、平田派と同じ七宝工として記載の梶常吉の技法については「七宝焼」としている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘉長」の詳細全文を読む
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