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嘉隆帝[かりゅうてい]
嘉隆帝(かりゅうてい、 ザーロンてい)はベトナム阮朝の初代皇帝(在位: 1802年 - 1820年)。諱は阮福暎(げん ふくえい、 グエン・フック・アイン、「阮福映」とも表記される)。阮朝は一世一元の制を採用したため、治世の年号が皇帝の通称となった。「ザーロン」は「嘉隆」のベトナム語読み。 == 生涯 == 17世紀以降ベトナム南部を支配した広南阮氏の出身。景興23年(1777年)、西山党の乱(後に帝位を称し西山朝)により阮氏は滅ぼされたが、阮福暎だけは辛うじて逃げ延びた。その後シャムなどの支援のもと幾度となく西山朝に挑む(ラックガム=ソアイムットの戦いなど)が失敗。光中2年(1789年)、フランス人宣教師ピニョー・ド・ベーヌの集めた傭兵を得て、嘉定、富春、歸仁を次々と攻略。1802年に都を富春に定めて広南阮氏を再興(ただし、1802年以後は越南阮朝と称する)し、年号を嘉隆と改めた(この年号は南の嘉定の「嘉」と北の昇隆の「隆」を統合した象徴とされる)。嘉隆3年(1804年)には清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ、越南(ベトナム)を正式の国号とした。阮朝は最初清に「南越」(南に越の国がある。この国は大きくて、南の天下を支配している)号を求めたが、嘉慶帝は「越南」(中国のはるか南方の僻地に越がある。さらにその南方にある国である)という国号を与えた。「南越」という国号に阮朝の領土的野心を警戒したという見方もある。治世中は清にならって国内制度の整備を進め、『嘉隆律例』を定めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘉隆帝」の詳細全文を読む
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