|
嘘(うそ)は、事実ではないこと〔大辞泉〕。人をだますために言う、事実とはことなる言葉〔。いつわり、とも。 「嘘」は拡張新字体であり、正字体は「」である。 == 概要 == 嘘とは事実に反する事柄の表明であり、特に故意に表明されたものを言う。 嘘の歴史について語るとき、欧米圏では、旧約聖書に登場する話、カインが弟アベルを殺した後、アベルの行方を問われたカインが「知りません。私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えたことに言及され、それが「人類の最初の嘘」などと語られることが多い。(カインとアベルも参照) 多くの文化に於いて、基本的に、嘘は悪いこと、とされる。嘘をつくことは信用、信頼を失う。だが、嘘の中には文化的に許容されるものがある。どのような嘘が文化的に許容されるかは、その文化ごとに異なる。どこの文化でも我欲や虚栄心によってつく嘘は悪いものとされている。 人を救うため、人を傷つけないためにつく嘘もある。大乗仏教では、人を救うため、人を悟りへと導くために当面の嘘をつく、という方法がある。大乗仏教国である日本では「嘘も方便」ということわざもあり、人を救うためということならばおおらかに許そうとすることがある。 イギリス等では、他人を喜ばせるための嘘は「white lie(良い嘘)」とする 。 相手に気に入られようとして、自分が本当に思っているよりも相手を良いと思っているかのように言うことをお世辞と言うが、お世辞を許容する文化もあるが、そういうことは極力言うべきではない、とする文化もある。 嘘をつかず本当のことだけを話してもコミュニケーションは可能ではあるが、まったく嘘をつかない、という制約があると、人間関係はむしろギクシャクする。こうして嘘は人間関係の維持に役立つ面がありはするが、やはり、人に対して悪意のある嘘が頻繁に語られるような状況では、嘘をつかれた人は疑心暗鬼になり、一般的に人間関係は悪化する傾向がある。 大多数の人は、ある程度の言い訳や責任転嫁などの嘘は無意識的、日常的に行っているので、こうした行為は(道義的、モラル的にはともかくとしても)一応、学問的・精神医学的に言えば「正常」の範囲内である(学問的には、あるべき姿やモラルは脇に置いて、統計的に数が多ければ「正常」、少なければ「異常」と分類することが多いのである)。ただしそれも常識的な範囲を超えたり、統計的に見て一般的な範囲を逸脱するような程度になると、心理学・精神医学的には「虚言癖」や「作話症」などに分類されるようになる 〔日常会話において将来的な予想を外したことに対して「あんなこと言ってたけど、嘘だった」と言う用法が少なからず見られるが、これは誤用である。〕嘘は他者もしくは自分を欺くために用いられる。 〔事実に反することが聞き手にあらかじめ了解されている場合は、嘘ではなくフィクションや冗談といったものに分類される。〕 嘘をつく動機や技術、事実との関係などによって、嘘は正負、両方の効果を及ぼしうる。 得をしようとして数字をごまかすことを「サバを読む」と言う〔広辞苑 第6版「サバを読む」〕。 自分の年齢について嘘を言うことは「年齢詐称」と言う。 財務諸表に嘘の数字を記載することは粉飾決算と言う。 欧米の大人では、聞き手が聞いたとたんに明らかに本当ではないと判ること、つまり明らかな嘘を聞かせて、それが嘘だと互いに十分に知っていることを確認しあって楽しむことがある。一緒に笑うために、ユーモアとして嘘を話すことが多々あるのである。日本の会話では、欧米に比べると、こうした話し方は少ないようである。 嘘の中には規模の大きな集団が組織的に行うものもあり、内容次第では社会に大きな影響を与える。 嘘の意を含む「ガセ」とは、一部の業界で使用されていた元隠語が一般に普及したものであり、もともとは「偽物」のことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|