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四戸 : ウィキペディア日本語版
糠部郡[ぬかのぶぐん]
糠部郡(ぬかのぶぐん)とは、かつて陸奥国にあった。現在の青森県東部から岩手県北部にかけて広がっていた。
== 歴史 ==
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡鹿角郡比内郡津軽平賀郡津軽田舎郡津軽鼻和郡が建郡された。
建郡の時期は文献がないため不明だが、清原真衡の時代という説と藤原清衡の時代(奥州藤原氏)という説がある。
文治5年(1189年)藤原清衡が滅びると奥州は源頼朝の支配下に入り、関東御家人への恩給が行われたが、糠部郡に関する記録はない
当郡の支配関係が記録に見えるのは、寛元4年(1246年)北条時頼が「陸奥国糠部五戸」の地頭代職に左衛門尉平(三浦)盛時を補任したことが初めてである。


元弘4年(建武元年 1334年)陸奧国府の北畠顕家南部師行に対して信濃前司入道(二階堂行珍)の代官を久慈郡に入部させよと命じており。平泉藤原氏の時期から、現在の久慈市域(九戸郡の一部)とほぼ一致する郡域が古代閉伊郡から分離独立したものとみられ、鎌倉末期には糠部、岩手、久慈、津軽四郡など北条氏所領群の一角をなしていたと推定される。
寛永11年(1634年)糠部郡は、北郡二戸郡三戸郡九戸郡に分割された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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