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四斤山砲[よんきんさんぽう]
四斤山砲(よんきんさんぽう〔読みは、熊本市立熊本博物館の公式ウェブサイト展示解説 に拠った。〕, 仏語:''Canon de montagne de 4 rayé modèle 1859'', ''Canon de montagne de 4 La Hitte'' )とは、1859年にフランスで開発された前装ライフル式の青銅製山砲である。「四斤」とは、砲弾重量が4キログラムであることを意味する〔幕末軍事史研究会(2008年)、90頁。〕。日本でも幕末から明治初期にかけて主力野戦砲として使用された。 ==開発==
フランス陸軍の砲兵士官で外務大臣も務めたジャン・エルンスト・デュコ・ド・ライット(en)のもとで1859年に開発された。ライットが整備した「ライット・システム」と呼ばれる一連のライフル砲体系に属する火砲で、同時に整備された砲として四斤野砲(Canon de campagne de 4 rayé modèle 1858)や12斤カノン砲(1853年型12斤カノン砲のライフル砲改造型)など多種が存在する。なお、幕末の日本では「ナポレオン砲」とも呼ばれたが、“Napoleon cannon”は本来は滑腔式の1853年型12斤カノン砲のことである〔12斤カノン砲装備のナポレオン3世の軍がクリミア戦争で活躍したことに由来。〕。 ライット体系の火砲が従来のフランス軍火砲と比べて大きく変わった点は、砲身にライフリングが施された点である。六角形のポリゴナルライフリングが使われており、椎実型砲弾(長弾)の側面に埋め込まれた亜鉛製のスタッド(筍翼)と噛み合わさって、発砲時に砲弾に回転を与える仕組みになっている。ライフリングは砲口に近い部分では溝幅にゆとりがもたせてあり、次第に奥に向かうにつれて幅が狭くなるが、一条を除いては若干のゆとりが残るようになっている。この工夫により、砲弾の装填が容易になり、かつ噛み合わせは確かなものとなる効果があった〔幕末軍事史研究会(2008年)、91頁。〕。砲身の製造法は、中身が詰まった状態で鋳造したうえ、内側を切削加工する方式だった。 ライフル砲となったことで、有効射程・命中率が向上するとともに、球形砲弾(円弾)を使用した場合に比べると同口径でも大質量の砲弾を使用できるようになった〔“Rifled Ordnance in England and France,” pp. 500-501.〕。例えば、新しい四斤山砲の場合、従来の同口径砲では4リーブル(1リーブルは0.5キログラム弱)の円弾だったのが、4キログラムの長榴弾(全備重量=弾殻+炸薬+信管)を使用可能となっている。弾種は榴弾と榴散弾が用意された。なお、日本語名称の「斤」は、火砲の場合に一般的には弾丸重量をポンド単位で指すが、本砲の場合はフランスで公用されていたメートル法のキログラムを意味する〔。 山砲として設計された本砲は、砲身が短くて射程などは四斤野砲に比べて劣ったものの、軽量で機動性に優れていた。分解すれば馬2頭に駄載することが可能で、山岳地帯での運用に適していた。一方、野砲では馬8頭が牽引に必要だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四斤山砲」の詳細全文を読む
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