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四条 隆昌(しじょう たかまさ、弘治2年(1556年) - 慶長18年5月12日(1613年6月29日))は戦国時代の公卿。冷泉為益の長男。左近中将。 はじめ二条家諸大夫月輪家を相続し名を家賢といった。天正3年(1575年)3月、前当主隆益が死去し中絶していた四条家を再興し、名を隆昌と改めた。天正8年(1580年)1月に従四位下となったが、勅勘を蒙り摂津の堺に出奔した。その間、正親町三条公兄の孫の隆憲、次いで隆致が四条家に迎えられている。しかし隆昌は、慶長6年(1601年)5月、徳川家康の奏請により、勅免出仕し四条家に戻った。このため当時四条家を継いでいた隆致の子隆朝は別家を立て櫛笥家と称した。慶長18年(1613年)5月12日、58歳で薨去。 == 系譜 == *妻:磯部兵部大輔女 *妻:御茶々 *妻:恵光寺女 *生母未詳 *男子:隆術(1611-1647) *女子:藤谷為賢室 *女子:本多美濃守室 *養子:隆憲(正親町三条公兄孫)(-1591) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四条隆昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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