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四神相応(しじんそうおう)は、東アジア・中華文明圏において、大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいう。四地相応ともいう。なお四神の中央に「黄竜」(おうりゅう)、あるいは麒麟を加えたものが「五神」(ごじん) と呼ばれている。ただし現代では、その四神と現実の地形との対応付けについて、中国や韓国・朝鮮と日本では大きく異なっている。 ==中国・韓国== 中国や韓国における風水の四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水(すい)が配置されている背山臨水の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。 日本の平安京においても、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする対応付けが可能で、背山臨水を左右から砂で守るという風水の観点から正しく京都は四神相応の地であった。ただし巨椋池が完全に干拓されてしまったために、現代では平安京は朱雀を失っている。なお平安京大内裏北方にある船岡山は玄武とするには低山に過ぎ、現代中国の風水の観点に立つと、船岡山は玄武を伝ってやってくる山龍が目指す星峰と解釈される。〔高藤 聡一郎『仙道風水術 尋竜の法』ISBN 4054003974 本書の平安京の風水についての解説は、1994年6月5日にNHK総合で放送された『よみがえる平安京』のダイジェストとなっている。〕 なお、中国元代に編集された家政全書である『居家必要事類』には『周書秘奥営造宅経』が収められており、そこには宅地の撰地条件として
とある。これは後に述べる「四神=山川道澤」説と同じであり、この説が中国由来であることを明瞭に示す。なお、ここに朱雀を「汙池」即ち「汚れた池」とすることは宅地からの汚水溜めを示していて、これらが住宅の敷地の撰地に限定していることに留意すべきである。さらに敦煌文書『司馬頭陀地脉訣』の中に
とある。この文書は出自から唐の頃のものと考えられる〔この文書の末尾には「謹議三教不斉論 劉晏述」とあり、あるいはこれが空海が我が国に齎した「三教不斉論」と同じものではないかと考えられている(牧田諦亮『劉晏の三教不斉論について』1961)。劉晏(715~780)は唐の政治家で、安録山の乱以降の唐の財政を立て直した人物。〕。これらは『周書秘奥営造宅経』と同じく住宅に関する四神である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四神相応」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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