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四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)は、弥生時代中期以降、吉備・山陰・北陸の各地方で行われた墓制で、方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突出部に葺石や小石を施すという墳墓形態である。四隅突出型弥生墳丘墓とも呼称する。 == 概要 == 弥生中期後半から広島県の三次盆地に発祥したという。 弥生後期後葉から美作・備後の北部地域や後期後半から出雲(島根県東部)・伯耆(鳥取県西部)を中心にした山陰地方に見られる墳丘墓である。北陸では少し遅れ能登半島などで造られている。源流は今のところ判明していないが、貼り石方形墓から発展したという可能性もある。 日本海側を中心に約90基が確認されている。北陸地方(福井県・石川県・富山県)では現在までに計8基が知られている。 墳丘墓側面には貼り石を貼りめぐらし、規模は後の前期古墳の規模に近づくなど、古墳時代以前の墓制ではもっとも土木技術が駆使されており、日本海沿岸という広域で墓形の規格化が進んでいた。 このことから、山陰~北陸にわたる日本海沿岸の文化交流圏ないしはヤマト王権以前に成立していた王権(出雲王権)を想定する論者もいる。また、もっとも集中的に存在する島根県安来市(旧出雲国)では古墳時代前期に全国的にも抜きん出た大型方墳(荒島墳墓群の大成、造山古墳)が造営されるが、四隅突出型墳丘墓の延長線上に築かれたものと考える者もおり、出雲国造家とのつながりを指摘する者もいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四隅突出型墳丘墓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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