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回復領 : ウィキペディア日本語版
回復領[かいふくりょう]

回復領(かいふくりょう、, :Regained Territories)は、第二次世界大戦後にソビエト連邦傀儡政権であった共産主義のポーランド人民共和国1949年まで政治プロパガンダとして用いていた地理的用語〔 An explanation note in "The Neighbors Respond: The Controversy Over the Jedwabne Massacre in Poland", ed. by Polonsky and Michlic, p. 466〕。1949年以降、この表現は正式には使用されなくなった。これは、ソビエト連邦・アメリカ合衆国イギリスの三国がポーランドの頭越しに行ったヤルタ会談の決定によってドイツ人追放が行われ、大戦の結果としてポーランド人民共和国が新たに獲得した西方領土(ドイツ側からみた東方領土Ostgebiete des Deutschen Reiches))を指した〔An explanation note in ''"The Neighbors Respond: The Controversy Over the Jedwabne Massacre in Poland"'' , ed. by Polonsky and Michlic, p.466〕。戦後もドイツ連邦共和国(西ドイツ)は東方領土の領有権を放棄していなかったが、公法においては1990年ドイツ再統一に際して締結されたドイツ・ポーランド国境条約により、また私法においては2008年欧州人権裁判所の決定により、領土問題としては完全に解決している。
== 概要 ==
該当地域には、西ポモージェ県(旧ポメラニアポメラニアのうち、Hinterpommern(「下ポメラニア」などとも訳される、ポメラニア東部)がポーランド領となり、その範囲は現在のポーランドの西ポモージェ県ポモージェ県などに及んでいる。〕およびシュテッティン)、ルブシュ県(旧ノイマルクNeumark)、オポーレ県ドルヌィ・シロンスク県(旧シレジア、ただし、もともとポーランド領だったシレジア自治県:en:Autonomous Silesian Voivodeship:pl:Autonomiczne województwo śląskie)の部分を除く)などが含まれ、「北部領土」には、グダニスク(旧自由都市ダンツィヒ)、ヴァルミア・マズールィ県1946年にこの地域がポーランドの地方行政に編入された際には、東部の一部がポドラシェ県に組み込まれ、残りの部分が「オルシュティンスキ県」となった。その後、ポドラシェ県にいったん組み込まれた部分も含めて県が再編され、ヴァルミア県とマズールィ県が成立した。1999年にヴァルミア県とマズールィ県が合併して、現在のヴァルミア・マズールィ県が成立した。「回復領」が広く用いられていた1989年の民主化以前には、2県が別個に存在していた。県としての記述ではなく、歴史的な地域としての記述であるが、各国語版のヴァルミア (:pl:Warmia:de:Ermland:en:Warmia)、マズールィ (:pl:Mazury:de:Masuren:en:Masuria) も参照のこと。〕(旧東プロイセンの南半分)が含まれる。
「回復」という表現が用いられるのは、体制側のプロパガンダとして〔Tomasz Kamusella and Terry Sullivan in Karl Cordell, ''Ethnicity and Democratisation in the New Europe'', 1999, p.169: "term "recovered territories" was christened so by the Polish communist-cum-nationalist propaganda", ISBN 0415173124, 9780415173124〕、西部および北部領土は中世のピャスト朝以来ポーランドの分ちがたい一部であったという構図を示し、ポーランド人民共和国がその正当な継承者であることを主張するためであった〔〔Joanna B. Michlic, ''Poland's Threatening Other: The Image of the Jew from 1880 to the Present'', 2006, pp.207-208, ISBN 0803232403, 9780803232402〕〔Norman Davies, ''God's Playground: A History of Poland in Two Volumes'', 2005, pp.381ff, ISBN 0199253404, 9780199253401〕〔Geoffrey Hosking, George Schopflin, ''Myths and Nationhood'', 1997, p.153, ISBN 0415919746, 9780415919746〕〔Jan Kubik, ''The Power of Symbols Against the Symbols of Power: The Rise of Solidarity and the Fall of State Socialism in Poland'', 1994, pp.64-65, ISBN 0271010843, 9780271010847〕。過去の領有として強調されたのは、西部領土については中世盛期のピャスト朝960年頃 - 1370年)の、建国時にローマ教会と神聖ローマ皇帝から正式な承認を受けた国境線を含むいくつかの時期における領有であり、北部領土については近世のいくつかの時期におけるポーランドの宗主権(レーエン)であった。東ヨーロッパへのドイツ人の歴史的定住(東方植民)によって、何世紀にもわたりこれらの地域にドイツ人が住んでいたことについては、ドイツの継続的な東方への「侵略」行為の結果に過ぎないとされた(東方への衝動)〔〔Davies, pp.381ff, p.395〕〔Karl Cordell, Andrzej Antoszewski, ''Poland and the European Union'', 2000, p.166, ISBN 0415238854, 9780415238854〕。戦後における住民の強制移住は、公式には「本国送還」と呼ばれ〔、かつてこの地域に存在していたドイツ的文化伝統は、1989年のポーランド民主化によって公的な歴史認識の転換が行われるまでは顧みられることなく否定されることになった〔 Karl Cordell, Stefan Wolff, ''Germany's Foreign Policy Towards Poland and the Czech Republic: Ostpolitik Revisited'', 2005, ISBN 0415369746, 9780415369749, p.139 : "In addition it has been relatively easy for Polish historians and others to attempt to debunk communist historiography and present a more balanced analysis of the past - and not only with respect to Germany. It has been controversial, and often painful, but nevertheless it has been done. For example, Poland's acquisition in 1945 of eastern German territories is increasingly presented as the price Germany paid for launching a total war, and then having lost it totally. The 'recovered territories' thesis previously applied in almost equal measures by the communists and Catholic Church has been discarded. It is freely admitted in some circles that on the whole 'the recovered territorries' in fact had a wholly German character. The extent to which this fact is transmitted to other groups than the socially and politically engaged is a matter for some debate. 「加えて...ポーランドの歴史家たちや他の者にとって、共産主義者たちの歴史編纂の暗部を暴露し、よりバランスがとれた過去の分析を提示しようとすることは決して難しいことではなく、これはドイツに関することばかりではなかった。それは議論を呼ぶ、また、しばしば痛みを伴う仕事であったが、結局は成し遂げられた。例えば、1945年にポーランドが獲得したドイツ東方領土は、全面戦争を起こし全面的に敗北したドイツが支払った対価として提示されるようになってきている。かつて、共産主義政権とカトリック教会がほとんど同様に唱えていた『回復領』の主張は、もはや放棄された。一部には、『回復領』が実際は全くドイツ的性格であることを、自由に認める立場の人々もいる。ただし、この事実が、社会的・政治的に深い関心を持っている人々の範囲を超えて、どの程度まで広がりをもっているのかという点については、さらに議論を要するところである。」〕。

第二次世界大戦後、回復領からは多数のドイツ人が脱出して西方へ去ったが(Flight and expulsion of Germans from Poland during and after World War II)、一部のドイツ系住民はそのまま留まっていた。しかし、彼らもやがてほとんどが追放されることになり、代わってポーランド人が他地域からどんどんと入って来たが〔Dierk Hoffmann, Michael Schwartz, ''Geglückte Integration?'', p.142 〕〔〔Cordell, Antoszewski, p.168 によれば、最初の1年で455万人が到来したとされる。〕、それでもごく少数のドイツ系住民はポーランド国籍を得てドイツ系ポーランド人として一部の地域に残留した。この地域に入ってきたポーランド人の多くは、ポーランド中部や戦時中逃れていた国外から自由意志でやって来ていたが、ポーランド当局は、ウクライナ人など国内の少数民族集団を強制的に分散移住させ(ヴィスワ作戦Operation Vistula)、また、ソ連に併合された旧ポーランド領東部(Territories of Poland annexed by the Soviet Union)の住民を回復領に「本国送還」して、こうした地域のポーランド化を確かなものにした〔〔〔Dan Diner, Raphael Gross, Yfaat Weiss, ''Jüdische Geschichte als allgemeine Geschichte'', p.164〕〔Thum, p.344〕。
1950年ドイツ民主共和国 (東ドイツ)ズゴジェレツ条約オーデル・ナイセ線を正式に国境として承認し、ドイツ連邦共和国 (西ドイツ)も、1970年ワルシャワ条約でこれに同意した。さらに統一後のドイツ連邦共和国1990年ドイツ・ポーランド国境条約(German-Polish Border Treatyを締結して、オーデル・ナイセ線を国境とすることを再確認している。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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