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因縁(いんねん) # きっかけ・動機・契機などの意味。 # 由来や来歴の意味。縁起と同様に用いる。 # 関係、ゆかりのこと。 ---- ==仏教の解釈== 仏教における因縁の意味。因と縁のこと。因とは、結果を生ぜしめる内的な直接原因のこと。縁とは外から因を助ける間接原因(条件)のこと。一切のものは、因縁によって生滅するとされる。因縁(サンスクリット:hetu-pratyaya)『新・佛教辞典』中村元監修 誠信書房 参照 初期の仏教では因(hetu)も縁(pratyaya)も、ともに原因を意味する言葉であり、後に区分が生じて因を原因、縁を条件、とみなした。 仏教では、修行による成仏を前提としており、 *宿作因説 - 因や果を固定したり、創造神の力を因としたり、外在的・宿命的な力を因とする説 *無因有果説 - 因なく最初から果があったとする宿命論的な主張 *無因縁説 - 原因は有り得ないという説 に対してきびしい批判を行った。 ことに龍樹は、『中論』観因縁品で、無自性空の立場からこれらの外部の説と、説一切有部の四縁六因説を批判し、四諦品で因縁によって生じる諸法は空であり、条件が変われば、変化すると説いている。 因縁とは存在の相依性をいう。すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、相互に依存して存在しているということである。 釈迦の教説の根本であるところの「四諦の法門」を一言でいうと「因縁」となる。 *これありてこれあり *これ生じるがゆえにこれ生じ *これなければこれなく *これ滅すればこれ滅す という存在理論であり、「苦諦・集諦・滅諦・道諦」(略して苦集滅道の四諦)という。 またこれは、違う表現をすれば『法華経』方便品に説かれる諸法実相、つまり相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等という、十如是になるとも説かれる。 これは存在をあらわし、 #どのようなものでも存在するかぎり、相(形)がある #相には、性(本質)がある #相・性には、体(体質)がある #相・性・体には、力(能力)がある #相・性・体・力には、作(作用)がある #相・性・体・力・作には、因(直接的な原因)がある #相・性・体・力・作には、縁(間接的な原因)もある #相・性・体・力・作・因には、果(因に対する結果)がある #相・性・体・力・作・縁には、報(縁に対する結果)がある #相・性・体・力・作・因・縁・果・報には、本末究竟等(本の相から末の報までが究極的に無差別で等しく関連している)がある なお、十如是は鳩摩羅什訳出の漢文『法華経』のみで、サンスクリット語原典や竺法護訳『正法華経』、闍那崛多・達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』にはない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「因縁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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