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国定勇人[くにさだ いさと]
國定 勇人(くにさだ いさと、1972年8月30日 - )は、日本の政治家、郵政・総務官僚。新潟県三条市長(3期)。 == 概要 == 東京都千代田区神田神保町生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、一橋大学商学部卒業(清水啓典ゼミ)。中学、高校ではラグビー部に所属。大学4年次に1年留年して中国北京市に留学。1997年、郵政省(現総務省)に入省し、郵政大臣官房総務課審議室に配属される。 総務省情報通信政策局放送政策課政策係長、総務省大臣官房総務課総括国会第三係長を経て、2003年より、2年間の予定で新潟県三条市へ出向し、総務部参事・情報政策課長に就任。平成16年7月新潟・福島豪雨では災害対策本部長を務め、陣頭指揮を執った〔時事通信2011年11月4日 トップインタビュー【49】国定勇人・新潟県三条市長〕。2005年、出向期間が1年間延長され、三条市総合政策部長を務める。2006年に総務省へ復職し、情報通信政策局地域通信振興課課長補佐に就任するが、三条市長選挙に出馬するため退官〔三条・燕、県央の情報「ケンオー・ドットコム」 三条市長選出馬の國定氏が記者会見で正式に立候補表明(2006年10月11日)〕。同年、三条市長選で初当選を果たした。当選時は全国で最年少の市長であった。なお、国定が当選するまで全国最年少の市長であった樋渡啓祐(佐賀県武雄市長)は総務官僚出身であり、国定の最年少記録を更新した福原慎太郎(当時の島根県益田市長)が会社役員だった〔共同通信 島根・益田市に最年少市長 35歳3カ月、福原氏 (2008年7月28日)〕のを挟んでさらにその次の倉田哲郎(大阪府箕面市長)も総務官僚出身である〔共同通信 箕面市に全国最年少市長 大阪、34歳の倉田氏初当選 (2008年8月24日)〕。 三条市長就任後は災害復旧助成事業や堤防の嵩上げを推進し、平成23年7月新潟・福島豪雨では約175億円の被害が生じたが、平成16年7月の豪雨で生じた被害額254億円を下回った〔三条・燕、県央の情報「ケンオー・ドットコム」 国定勇人三条市長が会見、記録的豪雨から1カ月になったが復旧はまだ「道半ば」、被災者支援の地区別移動相談会開催へ(2011年8月29日)〕。 2010年10月、三条市長再選。2011年12月には、全国507の市町村長で構成される「地方を守る会」を設立し、同会代表世話人に就任〔伊勢新聞、2011年12月28日〕。2015年全国2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合会会長就任。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国定勇人」の詳細全文を読む
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