|
下和知国広山(くにひろやま)は、広島県三次市和知町に位置する山(標高316.8m)である。 == 地理 == 山頂には二つの瘤を有し、戦国時代の山城跡及び三等三角点がある。鎌倉時代に国広石見の住居地、その後(1324~1326年頃)、鎌倉幕府から代官職を任じられ下ってきた広沢実村(後に地名をとって和智氏と名乗る)又はその2男和智(広沢)実成の住居地ではないかと「芸藩通志」(現在語訳)に記述がみられるが、中国縦貫自動車道の建設途上で、それから東約1.5kmの古城山城址(こじょうやまじょうし)で居住地跡が発見され、山頂の山城は時代が新しく戦国時代の築城と判定された。この国広山城址は,陣山城址,天城山城址,岩倉山城址,龍王山城址及び国広山城址とが一体となった大規模な城址である〔広島県教育委員会編;“中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1),pp226-258,1978年(昭和53年)3月〕。国広山城は,山陰の尼子経久が安芸・備後両国への進出の拠点として築いたものと見られる〔(株)創史社編;“日本城郭体系 第13巻,広島・岡山,pp122-124,第1刷,昭和55年1月〕。 この国広山には、NHK送信所,Docomo無線中継所があり、その建設道路が183号線和知町コミュニティホーム付近から上がっている。山頂の見通しが良いことから、JR芸備線下和知駅の他、三次市四拾貫町及び三次市中心部からも電波塔が見られる。また、国広山の四拾貫町側には,国広山古墳群がある。 城址群のそれぞれの位置を次の地図に示す。ただし,国広山城址位置は,冒頭の地図と同じである。 * * * * * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国広山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|