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国枝慎吾 : ウィキペディア日本語版
国枝慎吾[くにえだ しんご]

国枝 慎吾(くにえだ しんご、1984年2月21日 - )は日本のプロ車いすテニス選手。ユニクロ所属。
グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計40回(シングルス20回・ダブルス20回)優勝の記録保持者。シングルスでは年間グランドスラム(3冠)を計5回達成し、ダブルスではキャリアグランドスラムと4大会連続優勝を果たしている。
パラリンピックではシングルスで2個・ダブルスで1個の金メダルを獲得している。
== 人物 ==
東京都出身。千葉県柏市在住。身長173cm。麗澤大学国際経済学部卒。右打ちでハードコートを得意とし、オーエックスエンジニアリング社の車いすを用いる。
9歳の時、脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となる。母親の薦めで小学校6年生の時に吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始める。
麗澤高校に進学し、高校1年生のときに初めての海外遠征を経験。17歳から現在のコーチである丸山弘道の指導を受け始め、本格的に競技に取り組む。
麗澤大学に進学後の2003年、ワールドチームカップに出場し、日本チームの同大会初優勝に大きく貢献。同年のNEC全日本選抜車いすテニス選手権大会男子シングルスでは連覇を続けていた斎田悟司を破って初優勝。
2004年アテネパラリンピックに出場し、斎田と組んだダブルスで金メダルを獲得した。
2006年フェスピックで金メダルを獲得。同年10月、初の世界ランキング1位となった。
2007年、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラム(全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェアの4大会を制覇〔この時点ではこの4大会だったが、2009年にルールの改正があり、健常者と同じグランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、全英オープン、全米オープン)になった。〕)を達成。国際テニス連盟(ITF)が選出する同年のITF世界チャンピオンに選出された。
2008年北京パラリンピックに出場し、男子シングルスで金メダル、斎田と組んだダブルスでは銅メダルを獲得。同年12月、麗澤大学を退職。
2009年4月、日本の車いすテニス選手としては初めてプロ選手に転向。同年5月、SRIスポーツダンロップ)と用品使用契約を締結。同年8月、ユニクロと所属契約(2年契約)を結んだ。競技用のウエアの提供も受ける。
2010年3月、ローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀障害者選手に、同部門において日本人で初めてノミネートされ、アブダビで行われた表彰式に出席した。
2010年5月25日、脊髄損傷者専門トレーニングジムを運営するJ-Workoutにて1年間のトレーニングを受けて歩行機能が回復。報道ステーションでその成果を披露した。
2010年9月、車椅子テニス初のシングルス100連勝達成。
2015年全豪オープンではシングルス3連覇8回目の優勝、ダブルスは3連覇9回目の優勝。2015年全仏オープンではシングルス2連覇6回目の優勝、ダブルスは2年ぶり6回目の優勝。特にダブルスは自身初のグランドスラム4大会連続優勝(Non-calendar Year Glandslam)を果たした。2015年全米オープンではシングルス2連覇6回目の優勝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国枝慎吾」の詳細全文を読む



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