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パリ管弦楽団()は、1967年にパリに設立されたフランスのオーケストラ。現在ではサル・プレイエルで演奏会を行っている。 ==歴史== 1967年、パリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、フランス文化省の大臣アンドレ・マルローと音楽局長のマルセル・ランドスキの要請により、シャルル・ミュンシュを首席指揮者に迎えて新たに設立された。この際に団員の7割近くが入れ替わり、全仏から優秀な奏者が選抜されて新加入している。ところがミュンシュは1968年に急逝してしまう。その後を受け、1969年から1971年まで、ヘルベルト・フォン・カラヤンが音楽顧問を務めた。カラヤン後はゲオルク・ショルティが首席指揮者を務めた後、ダニエル・バレンボイムが15シーズンに渡って首席指揮者を務めた。バレンボイムの後を受けたセミヨン・ビシュコフ離任後、1998年から2000年までクリストフ・フォン・ドホナーニが芸術顧問に就任した。その後クリストフ・エッシェンバッハが就任し、2010年にはパーヴォ・ヤルヴィが就任した。 ドイツ系フランス人(アルザス人)のミュンシュ以下、暫定的に統率したカラヤン、就任当時ドイツからイギリスに国籍を移したばかりだったショルティ、ドホナーニ、エッシェンバッハと歴代ドイツ系の指揮者が多い(オーストリアで学んだバレンボイムもドイツ志向の強い音楽家である。フランス国籍のシェフは壮年以降に帰化したミュンシュ一人しかいない)にもかかわらずサウンドは一貫してフランス的な明晰さを維持している。ベルリンフィルに対抗できる世界的オーケストラが目指されたと言われ、発足当初から合奏力が高かった。 1998年に、長らく拠点であったサル・プレイエルが個人投資家に買収されて閉鎖され、楽団が追い出されたため、2002年よりテアトル・モガドール(Théâtre Mogador)をとりあえずの拠点に移したが、現在ではサル・プレイエルで演奏会を行っている。 ミュンシュ時代のブラームスやラヴェルの録音、ショルティ時代のリストの録音、バレンボイム時代の近代フランス音楽集や、ビシュコフ時代のラフマニノフの録音などが代表的録音である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パリ管弦楽団」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Orchestre de Paris 」があります。 スポンサード リンク
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