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独立行政法人国立病院機構埼玉病院(どくりつぎょうせいほうじんこくりつびょういんきこうさいたまびょういん)は、埼玉県和光市にある医療機関。 独立行政法人国立病院機構が運営する病院である。 == 歴史・概要 == 1941年(昭和16年)7月20日に埼玉県新座郡新倉村(現・和光市)に大日本帝国陸軍が白子陸軍病院として開設したのが始まりである〔。 同年11月2日に移転した〔熊谷光久 『日本軍の人的制度と問題点の研究』 国書刊行会、1994年11月30日。ISBN 978-4-336-03669-8〕陸軍予科士官学校に関連して陸軍は新倉村と白子村の両村の全面積の約20%を買収しており〔『和光市史 通史編 下巻』 和光市、1988年3月。〕、その一角に開設されたものである〔。 その後、1944年(昭和19年)4月1日には振武台陸軍病院と改称している〔。 1945年(昭和20年)8月に第2次世界大戦で敗戦となったため、全ての陸海軍病院は連合国軍総司令部の監督下に置かれることになった〔。 日本政府と連合国軍総司令部との交渉の結果、同年11月19日に「厚生省に移管して一般市民の医療を行うこと」などを条件に返還されることになった〔。 なお、軍の施設でなくなるものの、当時大勢いた傷痍軍人の治療は引き続き行うものとされていた〔。 これを受けて、同年12月1日に当院も「厚生省」に移管されて「国立埼玉病院」と改称し、一般市民の医療に当たる病院となった〔。 その後、敷地の一部を日本住宅公団に譲渡し、1966年(昭和41年)10月に「諏訪原団地」が開設された〔。 1976年(昭和51年)に「厚生省」が計画した「救命救急センター」を地元自治体などの支援を受けて招致したものの、全国で8か所のみの指定となったことから実現しなかった〔。 そこで、稼働率が低迷していた結核病棟を転用して代替施設の整備が進められることになり、埼玉県が補助金を出すと共に、和光市のほか朝霞市や新座市、志木市が医療機器を提供することにあった〔。 こうした地元自治体の支援もあり、1978年(昭和53年)12月に「地域救急医療システム」と呼ぶ事実上の「救命救急センター」を開設し、地域の救急医療の中核を担うことになった〔。 2001年(平成13年)1月6日に「厚生省」が統合されて厚生労働省が発足し〔健康保険組合連合会 『社会保障年鑑 2001年版』 東洋経済新報社、2001年6月25日。〕。 2004年(平成16年)4月1日に国立病院が「独立行政法人国立病院機構」に組織変更され、独立行政法人国立病院機構 埼玉病院となった〔。 政策医療分野における循環器病の基幹医療施設である。地域医療支援病院の承認を受ける。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国立病院機構埼玉病院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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