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国立病院立ち枯れ作戦(こくりつびょういんたちがれさくせん)とは、1990年(平成2年)前後にかけて厚生省(当時)の内部で 使われていた呼称で、国立病院の再編問題に際して、対象となる施設に必要な予算や人員を配置しないことで自然に淘汰させるという方針のことである。 日本共産党の国会議員、瀬古由起子が1999年(平成11年)、その旨記載のある厚生省内部文書を国会で暴露したことから〔1999年2月4日 衆議院予算委員会国会議事録 〕知られるようになった。この方針は、「立ち枯れ政策」とも呼ばれた〔1993年11月12日 参議院 「国民生活に関する調査会」 国会会議録 〕。 == 『立ち枯れ』に係わる経緯 == 1986年(昭和61年)1月、厚生省(当時)は、国立病院・療養所計239施設のうち、74施設を統合、移譲、再編成して165施設にする再編計画を公表したが、同年4月、日笠勝之(日本社会党)は国立病院の移譲について国会で疑義を示した。その内容は、対象施設で退職・転勤したスタッフが出た場合も補充を行わないなど、外堀を埋めたり、搦め手でだんだん『立ち枯れ』させて、いたし方なく移譲を受けざるを得ない状況に持っていくつもりではないか、というものだった〔昭和61年4月16日 衆議院内閣委員会〕。 それから約8年を経た1993年(平成5年)11月、吉岡吉典(共産党)は国会で、「統廃合の対象になっている施設に対しては、定員増や施設整備を意識的に怠って『立ち枯れ政策』を強行していると。そういうところでは、結局そういうおくれた状態で、患者も安心しておれない状態、そういう『立ち枯れ状態』をつくって、自然になくす方向へ持っていこうとするそういう政策が行われていると多数の陳情が文書で来ている」と発言した〔平成5年11月12日、参議院「国民生活に関する調査会」〕。これを受けての厚生省保健医療局国立病院部経営指導課長の答弁は、「国の財政事情、それから定員事情が大変厳しいという中で、限られた予算の中で幾つかの再編計画が具体的に同時進行しており、その整備についても優先順位をつけて計画的に行っていかなければいけない」というものであった〔。 さらに3年以上を経た1997年(平成9年)2月、瀬古由起子(共産党)は国会で、7年前の1990年(平成2年)3月に厚生省の課長補佐クラスでの検討会で作成された、「国立病院・療養所改革検討会中間報告」の内容を暴露した〔平成9年2月4日 衆議院予算委員会〕。その報告は、再編成等の推進に機敏に対応した国立病院の予算編成・執行を指示する一方で、施設職員はもとより地元地域社会が再編成やむなしという気持ちになると、予算の締めつけ効果を強調しており、「現在でも『立ち枯れ作戦』を実行しているが対象が画一的で効果が不十分だ。重点的・効果的な『たち枯れ作戦』等を策定し、各セクションの実行を統括していくべき」と、企画・統括組織の設置まで提起していた〔〔「厚生省 内部文書が明記/国立病院の「たち枯れ作戦」/予算減らし廃止においこむ/雨もりで手術中止の例も/瀬古議員が追及」しんぶん赤旗 1999.02.05 日刊紙 1頁 総合〕〔加治 明 「現場からの報告」 「夕刊フジ」 1999年3月5日〕。瀬古はこれを、「意図的な予算カットで病院をボロボロにして廃止やむなしの口実とするものだ」と批判した〔。 ==『立ち枯れ』暴露を受けての反応== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国立病院立ち枯れ作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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