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国立科学アカデミー・レオポルディーナ (こくりつかがくアカデミー・レオポルディーナ、ドイツ語名:''Nationale Akademie der Wissenschaften Leopoldina''、英語名:''National Academy of Sciences Leopoldina'') は、ドイツの国立アカデミー (学術団体) である。 歴史的には2007年に国立となるまで、「ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ」(ドイツ語名:''Deutsche Akademie der Naturforscher Leopoldina'') として知られていた。 ドイツ、ザクセン=アンハルト州のハレにあり、創立は1652年で、現存する世界最古の学会 〔特定分野の学会はさらに古いものがあり、例えば王立内科医協会 (Royal College of Physicians) は1519年創立である。また、一般的に最も古いと考えられている王立協会は1646年に活動を始めているが、正式な勅許は1662年である。〕 であるとしている〔Leopoldina history 2015年11月30日閲覧〕。 == 歴史 == 会は1652年にシュヴァインフルトでラテン語名「''Academia Naturae Curiosorum''」〔これは英語で「''Academy of the Curious as to Nature.''」(自然科学への好奇心のアカデミー) と訳されることがある。〕として創立された 〔''A History of Magic and Experimental Science'' by Lynn Thorndike〕。創立メンバーは何れも内科医で、初代会長のヨハン・ラウレンティウス・バウシュ (Johann Laurentius Bausch)、ヨハン・ミヒャエル・フェール (Johann Michael Fehr)、ゲオルク・バルタザール・メッツガー(Georg Balthasar Metzger)(英語版)、ゲオルク・バルタザール・ヴォールファールト(Georg Balthasar Wohlfarth) の4名である。 会は1670年に「''Ephermeriden''」と「''Miscellanea Curiosa''」の出版を開始した。前者は最も古い科学ジャーナルの一つであり、後者は医学と植物学・生理学など自然哲学に関連する分野に特に強く焦点を当てるものであった。 1677年、神聖ローマ帝国のレオポルト1世は会の活動を認め、1687年に会の名称を「レオポルディーナ」(Leopoldina)とした〔。 会は当初通信によって運営され、会長が仕事をしている場所が会の所在地であった。1878年までは固定の所在地はなく、1924年まで定例会議は開催されなかった〔。 1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になると、会はユダヤ人会員の除名を始めた。アルベルト・アインシュタインはその後1938年まで続く70名を超える除名者の最初の一人である。彼らの内の8名はナチスによって殺害された。 第二次世界大戦が終わると、ハレは東ドイツの都市となり、したがって会の建物もその一部となった。共産党政権は再三にわたって会の国有化を試みたが、会は抵抗を続け、ドイツ全体のための機関としてあり続けた。ドイツ再統一後の1991年、会は非営利団体として認可され、ドイツ政府とザクセン=アンハルト州政府が共同で出資を行った〔。 2007年11月、連邦教育・研究相のアンネッテ・シャーヴァンは、レオポルディーナの「国立科学アカデミー」(ドイツ語名:''Nationale Akademie der Wissenschaften'')への改名を発表し、「レオポルディーナはその国際的威信によって、ドイツを世界のアカデミーの中心にすることを運命づけられている。」と述べた。ドイツの科学アカデミーとして、イギリスの王立協会やアメリカ合衆国の米国科学アカデミーと同様、機関としての非常に大きな権限と責任が付与されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国立科学アカデミー・レオポルディーナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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