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3170形は、かつて日本国有鉄道およびその前身である鉄道院・鉄道省に在籍したタンク式蒸気機関車である。 ==概要== 元は、日本鉄道が1903年(明治36年)にドイツのハノーバー社から6両(製造番号3046 - 3051)を輸入した、車軸配置2-6-2(1C1)、単式2シリンダの飽和式タンク機関車で、H3/5形(825 - 830)と称された。 この機関車は、他の鉄道でドイツ製機関車が良好な成績を収めていたことから、日本鉄道でもドイツ製機関車導入の機運が高まり、ヘンシェル社製で複式2シリンダのHS3/5形(後の鉄道院3240形)とともに製造されたものである。しかし、全てをドイツ製に置き換えるのには抵抗があり、同年発注された32両のうち24両は、イギリスのベイヤー・ピーコック社に発注された(後の鉄道院3200形)。また、発注の際に当初は一般競争入札で行ったものを取消し、仕様を共通にして再度指名競争入札で入札施行したため、その経緯の不透明さが当時のジャーナリズムを賑わすというエピソードもあった。 形態的には官設鉄道のB6クラスに先輪を追加し、火格子面積を拡大したもので、火室はベルペヤ式であった。先台車はビッセル式である。また、弁装置には当時最先端であったワルシャート式を採用している。導入当時、日本最大のタンク機関車であった。 国有化後の1909年(明治42年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、3170形(3170 - 3175)に改番された。 当初は、宇都宮、小山、田端、福島、盛岡に分散配置されたが、国有化後は小山、宇都宮に集まり、一部は大宮工場(一部は岡本支工場)の入換用とされた。廃車は、3171, 3172が1949年(昭和24年)、3173, 3175が1950年(昭和25年)、3170, 3174が1951年(昭和26年)であった。このうち3170は高崎板紙に譲渡されたが、使用されることなく廃棄された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄3170形蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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