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メーデー(、直訳すれば「5月の日」)は、世界各地で毎年5月1日に行われる祭典である。ヨーロッパでは夏の訪れを祝う日である一方、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日でもある。「労働(者)の日」(Labour Day)ともいうが、いくつかの国ではその国独自の「労働者の日」を定めているため、International Labour Day と言う必要がある。 == 概要 == 「メーデー」とは本来五月祭を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきた〔浜本・柏木、63。〕。この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習であったが、これが近代に入り現在の「メーデー」へと転化し、今日の「労働者の日」メーデーが誕生した〔浜本・柏木、p.23。〕〔宮北、平林、p.43。「労働者のメイ・ポール(THE WORKERS MAY-POLE)」挿絵解説〕。 労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源〔大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編「メーデーの起源[国]1886.5.1 」〕。 1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行われた。 1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行うことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)〔大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編「米,ヘイマーケット事件[国]1986.5.1 」〕といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会〔大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編「第2インターナショナル[国]1889.7.14 」〕でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された〔大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編「国際的メーデー[国]1890.5.1 」〕。以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日として継続・発展してきた。 なお、メーデー起源の国であるアメリカ合衆国をはじめ、メーデーとは異なる時期に「レーバーデー(労働者の日)」を定めている国々もある(「祝日」の節を参照)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メーデー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 International Workers' Day 」があります。 スポンサード リンク
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