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国際革命作家同盟〔祖父江昭二「日本プロレタリア作家同盟 にほんぷろれたりあさっかどうめい 」 日本大百科全書〕(こくさいかくめいさっかどうめい、、モルプ、〔村山淳彦 「ドライサーの一九三〇年代」 『一橋大学研究年報 人文科学研究』26巻、一橋大学、1987年5月20日、p.67〕)または革命作家国際連合〔江川卓 「プロレタリア文学」 世界大百科事典〕は、1930年代に活動した文学者団体である。 プロレタリア文学の国際的な組織として、1920年、プロレトクリト国際ビューローが設けられ、1925年、革命文学国際ビューロー(革命文学国際局、本部モスクワ)〔宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」 青空文庫〕に改組された。1930年11月6日-15日〔、22か国のプロレタリア作家を集めてソ連(現ウクライナ)のハリコフ(現ハルキウ)で同ビューロー第2回大会が開かれ(通称ハリコフ会議)、国際革命作家同盟と改称された〔〔ハリコフ会議は、ソ連のみならずドイツ・チェコスロバキア・ハンガリー・イギリス・日本にも召集状が出され、資本主義国・植民地・半植民地からは22人が参加した。--宮本百合子「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」〕。プロレタリア文学・革命文学の国際交流に大きな役割を果たし、1935年に解散した。 機関誌『世界革命文学』〔「一九二八年三月十五日」研究論文リスト 白樺文学館〕『インタナショナル・リテラチャー』〔を刊行。小林多喜二の小説「蟹工船」「一九二八年三月十五日」がロシア語版第10号に訳載された〔。また、セオドア・ドライサーの文章がたびたび掲載された〔。 文芸評論家勝本清一郎は、ベルリン留学中日本プロレタリア作家同盟代表として作家藤森成吉とともにハリコフ会議に出席し、日本のプロレタリア文学運動について報告した〔 「かつもとせいいちろう【勝本清一郎】」 世界大百科事典〕〔加藤哲郎 「モスクワでみつかった河上肇の手紙」 『大原社会問題研究所雑誌』1998年11月号、法政大学大原社会問題研究所、p.42〕。日本プロレタリア作家同盟は、1932年2月、モルプに加盟した〔。 1929年10月に結成されたアメリカ合衆国のジョン・リード・クラブ(:en:John Reed Clubs)は、ハリコフ会議に6人の代表を派遣。のちモルプアメリカ支部となった〔。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国際革命作家同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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