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国電型ダイヤ : ウィキペディア日本語版
シティ電車[してぃでんしゃ]

シティ電車(シティでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)および後身のJRグループ各社が、主に1980年代から設定した、地方都市圏における等間隔・高頻度運転の普通列車を指す。各地区ごとにさまざまな愛称が与えられていた。
== 登場の背景 ==
かつての国鉄では、東京南関東)・大阪京阪神)の近郊地域においては、古くから電車国電)による高頻度運転を行っていたが、それ以外の地域では、優等列車による広域輸送や貨物輸送が優先され、都市圏近郊輸送についてはほとんど考慮されていなかった。これは東京・大阪と並ぶ三大都市圏である名古屋圏も例外ではなく、国鉄の普通列車の本数は日中で毎時1 - 2本ほどで運転間隔も不等であり、時刻表を見ないと乗れないとされる“汽車ダイヤ”であった。また国鉄幹線は私鉄と比較すると、設置の数も少なく、駅間距離が長かった。
しかし1980年代に入ると、貨物列車の減少や、新幹線並行区間においては優等列車の減少もあり、線路容量に余裕が生まれてきた。またマイカーによる交通渋滞の激化を背景に、鉄道による輸送が見直されるようになった。そこで「汽車から国電へ」を合言葉に、地方都市圏における等間隔・高頻度の“国電型ダイヤ”を設定することとなったのである。この輸送改善の実行にあたっては、国鉄職員の労働量が増えるとして国鉄労働組合などの反発があったが、このままでは旅客をさらに減らすことになると考えた国鉄は「国鉄の存亡にもかかわること」と説得を続けた末、ようやく実行に踏み切ることができた。
まず1982年昭和57年)に、広島地区山陽本線と名古屋地区の関西本線において輸送改善が試みられた。この結果、ダイヤ改正後1年間の乗客数は前者が6%増(日中は10%増)、後者が20%増となった。この好成績を受け、1984年(昭和59年)以降は日本各地にその動きが広まっていった。これらの輸送改善のことは「シティ電車方式」などと言われた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シティ電車」の詳細全文を読む



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