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国重正文[くにしげ まさぶみ] 国重 正文(くにしげ まさぶみ、1840年11月30日(天保11年10月15日)- 1901年(明治34年)10月27日〔『日本人名大辞典』679頁。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚・教育者・神職。官選富山県知事。通称・徳次郎〔『幕末維新大人名事典』上巻、476頁。〕、篤次郎〔『明治維新人名辞典』359頁。〕。漢詩・書に堪能で、半山と号した〔『新編日本の歴代知事』422頁。〕。 == 経歴 == 長門国阿武郡萩土原(現山口県萩市)で、長州藩大組士・国重三郎兵衛恒升の長男として生まれた。藩校・萩明倫館で学んだ。文久元年(1861年)家督を継ぎ浜崎代官に就任。さらに、当島代官、大組物頭御軍制総掛、山口明倫館頭人役を歴任した〔〔。
明治政府に出仕し、明治5年(1872年)京都府七等出仕に就任。以後、少参事、権参事、参事、大書記官などを歴任。1883年5月、富山県令に登用され、1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となる。教育の充実に尽力〔。1888年10月に内務省社寺局長に転じた〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』92頁。〕。1893年6月1日に依願免本官となり退官した〔『官報』第2977号、明治26年6月3日。〕。 その後、國學院院長〔、を務め、1899年5月、稲荷神社(伏見稲荷大社)宮司となり、在任中に死去した〔「稲荷神社宮司従七位勲五等国重正文特旨ヲ以テ位一級被進ノ件」〕。
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