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園基任[その もとただ] 園 基任(その もとただ/もととう、元亀4年1月11日(1573年2月13日)-慶長18年1月13日(1613年3月4日))は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。後陽成天皇(107代)時代の廷臣で官位は正四位上参議まで昇った(薨去後左大臣追贈)。後光明天皇の外祖父にあたる人物。父は左近衛中将園基継。母は不詳。子に権大納言園基音(薨去後左大臣追贈)、左近衛権中将東園基教。娘に後水尾天皇後宮で後光明天皇生母の園光子(壬生院)、権大納言柳原茂光室、文英尼(京極忠高後室、圓通寺開基)がいる。 天正12年(1584年)に叙爵。以降累進して、侍従・左近衛少将・左近衛中将・蔵人頭を経て、慶長17年(1612年)に参議となり、公卿に列する。しかしその翌年に薨去している。享年41。 長女光子は後水尾天皇の後宮に入っており、光子の産んだ皇子は後光明天皇として即位する。そのため、基任は後光明天皇の外祖父にあたり、後光明天皇が即位した後の正保2年(1645年)には左大臣を追贈されている。その後、後光明天皇は若くして崩御するが、この時の縁で基任の子基音の娘である園国子(新広義門院)も後水尾天皇の後宮として召され、国子の産んだ皇子は霊元天皇として即位する。続けて二人も天皇生母を輩出した園家は以降大いに繁栄していくこととなる。 ==関連項目==
* 園家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「園基任」の詳細全文を読む
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