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園基藤[その もとふじ]
園 基藤(その もとふじ)は鎌倉時代後期の公卿。権中納言、右衛門督、検非違使別当、従二位。父は参議右衛門督園基顕。母は明清法印の娘。初名は基定。園家の出身では初めて権中納言に任ぜられた。子は基成、基春、基有、覚静、覚誉、女子(六条有忠の室:六条有光の母)。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 弘安4年(1281年)1月5日、叙爵〔安嘉門院当年御給。この時、基定。〕。正応3年(1290年)4月17日、従五位上に昇叙〔この時、15才。基藤に改名。〕。同年6月8日、左衛門佐に任ぜられる。正応4年(1291年)3月11日、左少将に任ぜられる。正応5年(1292年)2月27日、正五位下に昇叙。正応6年(1293年)3月14日、従四位下に昇叙。同年6月19日、左少将に還任。永仁2年(1294年)3月27日、近江介を兼ねる。同年7月2日、左中将に転任。永仁3年(1295年)8月5日、従四位上に昇叙。永仁5年(1297年)閏10月23日、正四位下に昇叙。嘉元2年(1303年)11月2日、蔵人頭に補される。 嘉元3年(1305年)3月8日、従三位に叙される。同日、右兵衛督に任ぜられる。徳治元年(1306年)2月5日、右兵衛督を止められる。〔不出仕のため。〕。徳治2年(1307年)12月12日、右衛門督に任ぜられる。延慶元年(1308年)9月17日、参議に任ぜられる。右衛門督は元の如し。延慶2年(1309年)2月28日、検非違使別当に補される。3月23日、但馬権守を兼ねる。8月10日、権中納言に任ぜられる。同月28日、検非違使別当を辞す。9月1日、右衛門督を辞す。10月13日、正三位に昇叙。延慶3年(1310年)2月8日、権中納言を辞した。応長元年(1311年)1月5日、従二位に昇叙。正和元年(1312年)5月、出家。法名寂玄。正和5年(1316年)7月4日、薨去。
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