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園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は、福岡県大牟田市出身の柔道家〔「平成12年度後期全日本強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2001年2月号〕。警察官。元柔道全日本女子代表監督。明治大学卒業。警視庁所属(役職は警視庁警務部教養課柔道指導室助教、階級は巡査部長〔暴力柔道監督 園田隆二巡査部長が警視庁でやっていたこと ゲンダイネット 2013年2月1日〕)。 == 経歴 == === 20歳で世界王者に === 福岡県大牟田市三里町に生まれる。大牟田市立中友小学校1年生の時、道場に通う友人の縁で尚武館道場にて柔道を始めた〔「ZOOM IN 素顔 園田隆二」近代柔道 ベースボールマガジン社、1993年3月号、88-89頁〕。 1986年の春に大牟田市立船津中学に進学するが、この中学に柔道部はなかったため、引き続き尚武館で稽古に励む。 日本中学校体育連盟の大会に出るため船津中に形だけの柔道部を作ってもらい、1人で個人戦に出場〔。中学3年の時に全国大会の軽量級で優勝した〔。 中学卒業後は柳川高校に進み、柔道部に籍を置く。高校2年次のインターハイで優勝したほか、2年次,3年次と全日本新人体重別選手権(現・全日本ジュニア選手権)を連覇している。卒業前には初めての海外大会となるハンガリー国際大会も制してシニア初タイトル〔。 1992年に明治大学経営学部に進学し、同大柔道部に籍を置いた。原吉実監督・秀島大介主将が率いる当時の明大柔道部は、OBの小川直也や吉田秀彦らも顔を出すなど非常にレベルの高い稽古が行われていた〔。軽量級とはいえインターハイの覇者である園田だったが、入部当初は部で一番弱く、マネージャーにさえ投げ飛ばされた。園田は「自分がやっていけるのか、本当に心配になった」と述懐する〔。 また寮では先輩の道衣も含め1日に6~10着洗うなど、稽古外でも体育会系特有の試練を味わった〔。 「稽古に夢中でついていった」と園田はいう〔。入学して半年後にブエノスアイレスで開催された世界ジュニア選手権で優勝すると、2年生になって直後の講道館杯で3位入賞、全日本選抜体重別選手権優勝と立て続けに好成績を残し、一躍60kg級のトップに躍り出た〔。 同じく1993年には、秋のハミルトン世界選手権で日本代表として出場する。園田曰く「日本代表の中で最年少だったので気楽だった」との言葉通り〔、1回戦こそ大外刈を掛けに行ってひっくり返ってしまい技ありを取られたものの、以降は勢いで勝ち上がり、準決勝戦で前年のオリンピック銅メダリストであるドイツのリヒャルト・トラウトマンを、決勝戦では同オリンピック金メダリストであるアゼルバイジャンのナジム・グセイノフを逆転の払腰技ありで破って初出場・初優勝を飾った。弱冠20歳の世界チャンピオンはベテランの越野忠則らに代わり一躍アトランタオリンピックの有力候補となった〔「20歳の世界チャンピオン 園田隆二に迫る!」近代柔道 ベースボールマガジン社、1994年1月号、3-8頁〕。11月29日には世界選手権での功績により大牟田市民栄誉賞を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「園田隆二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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